岩城隆恕
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岩城 隆恕(いわき たかのり、明和2年3月18日(1765年5月7日) - 文化14年5月18日(1817年7月2日)は、出羽亀田藩の第7代藩主。先代藩主・岩城隆恭の次男。通称は熊吉、采女。官位は従五位下伊予守。
明和4年(1767年)誕生。天明元年(1781年)閏5月1日将軍徳川家治に御目見する。天明2年(1782年)12月29日父隆恭の死去により、家督を相続する。天明4年(1784年)12月16日従五位下伊予守に叙任する。天明6年(1786年)駿府加番を命じられる。文化14年(1817年)5月18日死去。
正室は大給松平乗祐の娘。五男十二女あり。岩城隆喜(長男)、前田長粲(次男、高家旗本前田長英の養子)、娘(前田利和正室)らである。
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