工藤千博
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工藤千博(くどう ちひろ、1947年8月6日 - )は、長野県生まれのヴァイオリニストである。妻は同じくヴァイオリニストの小栗まち絵である。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 桐朋時代
1963年、桐朋女子高等学校音楽科入学し、鈴木共子に師事する。1965年、高校3年生の時、第19回全日本学生音楽コンクール東京大会高校の部で第1位を受賞した。1966年、桐朋学園大学に入学、1970年、文化放送音楽賞を受賞。
[編集] アメリカ留学
1971年、桐朋学園大学を中退し、インディアナ大学に留学、ジョーゼフ・ギンゴールド、フランコ・グッリに師事した。1973年、ローザンヌ・エンロー賞を受賞。1974年、小栗まち絵らとインターナショナル弦楽四重奏団を結成し、1975年、インディアナ大学を卒業、1976年、エヴィアン国際室内楽コンクールで第1位、1977年、インターナショナル・クヮルテット・コンクールで第1位、ミュンヘン国際音楽コンクール室内楽部門で第3位を受賞した。
[編集] 演奏活動
[編集] アメリカ時代
1976年、インディアナ大学サウスベンド校音楽部助教授に就任、1980年、ブラウン大学レジデンス・アーティストとなった。