工藤美代子
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工藤 美代子(くどう みよこ、1950年3月27日 -)は、日本のノンフィクション作家。父はベースボールマガジン社および恒文社を創設した池田恒雄、母の実家は両国の工藤写真館。
両親が離婚したため工藤姓を名乗る。大妻女子高校卒業後、父の意向でチェコスロヴァキアのカレル大学に入学するが、スパイ活動に巻き込まれて退学。一度結婚するがすぐ別れ、1973年、ブリティッシュコロンビア大学教授だった鶴田欣也と恋におち、バンクーバーへ赴くが、鶴田の前妻との離婚は五年かかった。その間工藤は友人のスーザン・フィリップスと協力して田村俊子の伝記を執筆、『晩香坡の愛-田村俊子と鈴木悦』として上梓(ドメス出版、1982)。以後、ノンフィクション作家として着実な成果をあげる。1991年、『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞受賞。鶴田と離婚ののちは、カメラマンの加藤哲郎と結婚。 当初は海外へ渡った女性たちを主題にしたものが主だったが、相撲関係、チェコスロヴァキア関係などを経て、父の出身地新潟の文学者、西脇順三郎、会津八一、堀口九萬一と息子大學の評伝、またラフカディオ・ハーン評伝、皇室評伝などに至る。 保守派であり、一時新しい歴史教科書をつくる会副会長を務め、近年は山本五十六伝、石原慎太郎論などに進出している。また『快楽』では初老の性を扱って話題となる。
[編集] 著作
- 『写婚妻-花嫁は一枚の見合い写真を手に海を渡っていった』(ドメス出版, 1983)
- 『カナダ遊妓楼に降る雪は』(晶文社, 1983、のち集英社文庫)
- 『黄色い兵士達-第一次大戦日系カナダ義勇兵の記録』(恒文社, 1983)
- 『聖林からヒロシマへ-映画カメラマン・ハリー三村の人生』(晶文社, 1985)
- 『旅人たちのバンクーバー-わが青春の田村俊子』(筑摩書房, 1985、のち集英社文庫)
- 『幻の町幻の女-カンバーランド』(朝日新聞社, 1986)
- 『女が複眼になるとき』(大和書房, 1986、のち講談社文庫)エッセイ
- 『双葉山はママの坊や』(文藝春秋, 1987、のち『一人さみしき双葉山』と改題してちくま文庫)
- 『海を渡った力士たち-ハワイ相撲の百年』(ベースボール・マガジン社, 1988)
- 『ホテル・ウランバートル』(作品社, 1990)
- 『工藤写真館の昭和』(朝日新聞社, 1990、のち講談社文庫)
- 『チャスラフスカの証言-チェコスロヴァキア民主化への道』(ベースボール・マガジン社, 1990)
- 『哀しい目つきの漂流者』(集英社, 1991、のち文庫)
- 『悲劇の外交官- ハーバート・ノーマンの生涯』(岩波書店, 1991)
- 『成吉思汗の末裔』(宇佐美博幸写真、ベースボール・マガジン社、1991)
- 『40歳、夢の途中』(筑摩書房, 1993)
- 『寂しい声-西脇順三郎の生涯』(筑摩書房, 1994)
- 『カラコルムの風』(産経新聞ニュースサービス, 1994)
- 『ラフカディオ・ハーン』(日本放送出版協会, 1995、NHKライブラリー)
- 『マルティニーク熱帯紀行-ラフカディオ・ハーン追想』(恒文社, 1995)
- 『夢の途上 ラフカディオ・ハーンの生涯 アメリカ編』(集英社, 1997)
- 『日々是怪談』(中央公論社, 1997、のち文庫)
- 『ハツエザウルスは今日も笑う』(新潮社, 1998)
- 『女の大転換期 明るく元気に更年期を乗り切りたい』(世界文化社, 1998)
- 『熱い海-春廼家お花一代』(平凡社, 1999)
- 『聖霊の島 ラフカディオ・ハーンの生涯 ヨーロッパ編』(集英社, 1999)
- 『サムソナイトをひきずって』(世界文化社, 2000)
- 『野の人會津八一』(新潮社, 2000)
- 『香淳皇后-昭和天皇と歩んだ二十世紀』(中央公論新社, 2000)
- 『黄昏の詩人-堀口大學とその父のこと 』(マガジンハウス, 2001)
- 『マッカーサー伝説』(恒文社21, 2001)
- 『ジミーと呼ばれた日-若き日の明仁天皇』(恒文社21, 2002)
- 『神々の国-ラフカディオ・ハーンの生涯 日本編』(集英社, 2003)
- 『海燃ゆ 山本五十六の生涯』(講談社, 2004)
- 『それにつけても今朝の骨肉』(筑摩書房, 2006)
- 『快楽-更年期からの性を生きる』(中央公論新社, 2006)
- 『石原慎太郎の連隊旗―その人間力に迫る』(ワック,2006)
- 『われ巣鴨に出頭せず―近衛文麿と天皇』(日本経済新聞社、2006)
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