巨海道綱
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巨海 道綱(こみ みちつな、? - 永正14年8月19日(1517年9月4日))は、戦国時代の武将。吉良氏の家臣で、大河内貞綱の弟にあたる。新左衛門と称す。
巨海氏は、大河内氏の支流で三河国幡豆郡巨海(現愛知県西尾市巨海町)を本貫地とする。「巨海」は「おおみ」と読むとしている資料もあるが(『静岡県史』など)、本貫地は「こみ」と読み「古海」「古見」とする文書も存在することから、「こみ」が正しいと思われる。
道綱は大河内氏から巨海氏に養子に入ったものと思われる。同時代の文書に「巨海越中守」の名前が表れるが、あるいは養父かも知れない。なお、道綱は同じ吉良氏の重臣、高橋氏の出であるという異説も存在する。道綱が引馬城で滅んだため、系譜は不明である。
大河内貞綱と同じく遠江で活躍、河匂荘(浜松市河輪町)の代官を務めていた。今川氏親の遠江侵攻に頑強に抵抗する。斯波義達と結び引馬城に篭もるが、永正14年8月19日に陥落、兄とともに自害して果てた。