帰化選手
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帰化選手(きかせんしゅ)とは、自身の持つ国籍を別の国籍に変える帰化を行ったスポーツ選手のこと。日本では大相撲、プロ野球、サッカーなどの各競技に見られるが、その理由はさまざまである。
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[編集] 大相撲
大相撲で帰化が行われるケースとして、一般的なのは年寄名跡(いわゆる「親方株」)を取得するためである。この競技が国技と呼ばれている以上、他競技の「チームの監督兼オーナー」といえる立場にある存在になるには日本国籍が必要と考えるからである。このケースでは高見山大五郎が最初といわれ、年寄名跡「東関」を襲名した。しかし実際にはそれ以前に、出自を知られていない在日コリアン等の力士がこっそりと帰化したケースもあると言われる。
昨今では、一部屋に外国人力士は一人までという入門制限のため、新たに外国人の入門枠を広げるために、既存の外国人力士が帰化するかのように見えるケースも出てきている。むろん国籍の選択は力士本人の意思によるものであり、それだけが理由でないことは言うまでもないが、大相撲の国際化の潮流を示す事象の一つであることも事実である。
[編集] プロ野球
プロ野球ではかつて、アジア系の外国人選手に帰化がよく見られた。当時、外国人枠は「1チーム2名まで保有」であったため、その枠を有効に利用したい球団側と、すでに日本で実績を残し今後も現役を続けたい外国人選手とが合意してのものであったと考えられる。しかしその後は外国人選手の出場枠の拡大や登録数制限の撤廃、さらにフリーエージェント制導入により、この権利を取得した外国人選手(郭泰源、タフィ・ローズなど)は「日本人選手扱い」に変わるようになったことなどがあり、このような例はほとんど見られなくなっている。
[編集] サッカー
国際大会が盛んな競技ゆえ、選手の帰化する例は非常に多い。有名な例としてはワールドカップ・イタリア大会(1934年)を有利に勝ち抜くために、他の国籍であった選手を帰化させたイタリア代表の例が挙げられる。これはサッカーにおけるナショナルチームが国籍を基本としているからである。
現在の規則では、
- ある国のユース代表として試合に出場した場合でも、フル代表として試合に出場した経験がなければ、21才未満の選手に限り一回だけ別の国の代表選手として登録変更できる。
- 21才以上でもFIFAが承認してから一年以内にその権利を行使すれば代表チームの変更が認められる。
- 二重国籍を持つ選手が強制的にある国の代表に選ばれた場合は、年齢に関わらず別の国の代表選手として登録変更できる。
と一定の制限がなされている。
[編集] その他の競技
オリンピックや他の国際大会の出場に関して、国籍を変えるケースが見られる。日本では女子ソフトボールの宇津木麗華、女子卓球の小山ちれ、女子バスケットボールの河恩珠、男子バレーボールの杉山マルコス、男子アイスホッケーのクリス・ブライト、大城ジョエル・ディックなどがあげられる。
原則として国際大会に出場するには、新たな国籍を取得してから一定の期間を経過する必要があるが、もとの国の許可がある場合はそのかぎりではない。
また、ラグビーのように居住する国・地域を代表の基本とする競技では帰化はあまり見られなかったが、最近ではナタニエラ・オト、ルアタンギ・侍バツベイのように帰化する選手も現れた。もっとも彼らは学生時代に日本代表キャップを獲得しながらも、社会人では外国人枠のため出場機会が減少したことから日本国籍を取得している。
[編集] 関連項目
- 帰化:帰化の申請、帰化が行える条件など
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