平和ラッパ・日佐丸
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平和ラッパ・日佐丸は戦前から戦後にかけて活躍した漫才コンビ。松竹芸能に所属していた。
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[編集] メンバー
[編集] 初代コンビ
平和ラッパ(へいわ らっぱ、1909年8月10日 - 1975年)
- 眉全一直線のおかっぱ頭と出っ歯といった特徴のある顔で、「先祖代々過去帳一切のアホ」で売り出す。立ち位置は左。
- 1927年、浅田家日佐丸に入門。兄の平和日佐治と平和日佐一の名でコンビを組み、のち平和家ラッパ・浪花家日佐丸と改名、ラッパは兄の死後、妻とコンビを組み、ラッパ・日佐丸嬢。妻とのコンビ解消後代々の日佐丸とコンビを組む。
- ネタではラッパがアホぶりをさんざん発揮して日佐丸を困らせた後、日佐丸が「こんなん連れてやってますねん」とボヤき、これを受けてラッパが「苦労しまっせ」と落として終わる。
- コンビは常にラッパが主導権を握り、ギャラもラッパの方が多く貰っていた。このため、人気が出ると日佐丸側に不満が募ることとなり、結局喧嘩別れで次々とコンビ解消となってしまった。
浅田家日佐丸(へいわ ひさまる、1933年 - 1968年)
- 立ち位置は右。
[編集] 歴代の日佐丸
日佐丸は5代目まで続いたとされる(実際は詳細不明)
- 初代
- 2代目
- 3代目は横山ノックの最初の相方であった、秋田Oスケ
- 4代目は秋山左楽(元秋山右楽・左楽、秋山左楽自体も2代目まで存在する。)
- 5代目は浮世亭夢若(松鶴家光晴・浮世亭夢若)
[編集] 日佐丸嬢
ラッパ夫人。歴代の日佐丸同様、ツッコミ役。さんざんラッパをこき下ろして笑いを取っていた。
[編集] 二代目コンビ
平和ラッパ(2代目) 初代の弟子。平和勝一を名乗り、ギター漫才をしていた。
平和日佐丸(6代目) 同じく初代の弟子。相方の2代目襲名に付き合い、6代目日佐丸を襲名。
先代と異なり、アホを売り物とはしない正統派のギター漫才。松竹芸能に所属していた。襲名後、程なく解散し2代目ラッパは梅乃ハッパとコンビを結成。現在は吉本興業に移籍。