年齢差と性行為
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年齢差と性行為の関連は各地に見られる現象である。性的関係の年齢相違は、異性愛と同性愛の文化そして社会における両方の特徴であった。
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[編集] 歴史
日本では古くは、幼児婚は一般に行われていた。大正時代には田舎であっても女郎買いにも行けた。夜這いなども一般的に行われていた。近親姦も一般的であったことはルイス・リビーも赤松啓介も指摘している。
若衆宿の成員は赤松啓介によれば15~25歳程度であり、性の手ほどきはこの若衆宿に入る頃に行われた。その形式はムラによって差があった。播磨の加古川流域では子供が十三歳の時に褌を贈られ、性交の実地教育を行うという形式が取られていた。共同風呂ではチンコの包皮を剥いて貰い痛いという人もいた。
日本において「セクシュアリティの近代」が設定されたのは明治時代以降である。もっとも地方ではこの伝統は残り青森市など一部の地域では似たような状況が近年・現在まで続いていた。宮台真司は青森にセクシュアリティの近代はなかったと指摘している。アジア地域では西欧では性的虐待と見られかねないことが普通に行われていると噂される理由もここにある。
また、日本では遊郭に売られた女性が初体験を早期に済ますという事は一般的であった。ただ、月経も来ていない少女を破瓜させるというひどい客も実際にいた。半公然ながら、女郎稼業で7つ、8つで売られる人もいた。男性も8、9歳くらいには売られ、男娼とされる事も少なくなかった。強姦も一般的であった。ただし、当時から法律で禁止されているため闇の話のこうした実態はさほど話題にされる事は少なかった。この話は赤松啓介が指摘している。
また、年上の娘が男の子に性交を教える場合も多かった。太宰治はこの行為は犯罪ではないかと「人間失格」で述べている。しかし、このような状況は教育勅語的指弾ムード、戦争中の弾圧的な風潮、戦後の禁欲的性教育ムードで弾圧されてきた。ただ、それにも拘らず一部の人間はその状況を守り続けていた。
ミシェル・フーコーの「性の歴史」は西洋ではこの状況が設定されたのはここ三世紀の話であると指摘している。同性の間の関係は、古代ギリシャ、メラネシア、イスラム教の国、及び、ルネサンス期のイタリアにおいて多かった。
[編集] 動機
女性は、一般に30年代後半に入り産出力を失い始め、そして更年期以降完全にそれを失う。その影響で男性が若く見える人々に引き付けられる可能性があることを示唆する。いくらかの年上の人間は若い人との性行為を求める可能性がある。それは、ファッション、音楽、メディアなどに媒介されている情報から来る可能性がある。年上のパートナーは、若さを求める可能性がある。それらは、若者の性の活力を求める。一方、若いパートナーは、親性を求めている可能性がある。あるいは同胞の相手より多くの生活経験があることに惹かれている場合もある。
[編集] 関連書籍
- 『夜這いの民俗学』(赤松啓介、1994)ISBN 4750305677