広橋真光
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広橋 真光(ひろはし ただみつ、1902年 - 1997年)は、昭和時代の華族(伯爵)・内務官僚。近衛文麿・東条英機両首相の秘書官を務める。戦後、千葉県知事を1ヶ月だけ務めた。
妻は梨本宮守正王の娘・規子。息子には梨本宮守正王の養子となった梨本儀光がいる。
元公家で明治になって伯爵・貴族院議員に転じた広橋賢光の嫡男。1910年、伯爵を継承する。1926年東京帝国大学を卒業し、翌年内務省に入省する。この年の12月2日、梨本宮家から規子女王が降嫁する。1940年近衛文麿首相の元で内閣総理大臣秘書官を務め、次の東条内閣でも留まった。
1947年、前任知事が突如参議院選挙への出馬を表明して退官した千葉県知事に転じる。翌月には新憲法の元で公選による県知事が決定するまでの38日間職務にあたった。
その後は特別調達庁横浜局長などを務め、退官後は企業の取締役や「東条内閣総理大臣機密記録」(東京大学出版会)の編集事業に携わった。
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