廃帝昭業 (南朝斉)
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廃帝昭業(はいていしょうぎょう、473年 - 494年、在位493年 - 494年)は、中国の南北朝時代の斉の第3代皇帝。姓は蕭、名は昭業、字は元尚、幼名は法身。2代皇帝武帝の孫。死後の位から鬱林王とも通称される。
父で皇太子であった蕭長懋の死により、皇太孫に立てられる。その2ヶ月後には武帝も亡くなったため即位した。まだ二十歳過ぎで若かったことから、竟陵王蕭子良と西昌侯蕭鸞が政務を輔けた。
昭業は表立っては外見も美しくまた情も厚く見え、武帝や父にも寵愛されていたが、実は裏表のある性格で、自分の屋敷に帰った途端によからぬ取り巻きたちと享楽にふけり、父や祖父が病気になると表では涙しながら一歩外に出ると酒宴を開きあろうことか早く死ぬよう呪詛まで行う、という有様だった。即位して以後も恩賞を乱発し奢侈に耽溺し、僅か1年ほどで国庫の蓄えをほとんど空にしてしまった。また、武帝の寵姫や皇后と淫蕩の限りを尽くした。このような調子で君主としての責務を果たすことがなかったため、彼の評価は暴君か暗君という評価が一般的になっている。蕭子良がまもなく死んで以来は政治の実権は蕭鸞が握っていた。蕭鸞も表ではそれを諫めつつ、裏では彼の享楽を煽っていた。
そして最後には、蕭鸞の手により殺された。その死は、後宮で愛妾と過ごしているところを襲われる、という悲惨なものだったという。死後に皇太后の手により皇位を廃されて、鬱林王に落とされた。
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