張超
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張超(ちょうちょう)
- 張超 (文士)(生没年不詳)は、後漢末の人。字は子並。河間郡鄚県の人。前漢の張良の末裔といわれる(『後漢書』文苑伝)。一説には張耳の子孫ともいう(『新唐書』世系表)。車騎将軍の朱儁の別部司馬として黄巾党の乱の鎮圧に従軍した。草書の達人で、賦・頌などの19篇を残している(『後漢書』文苑伝)。
- 張超 (後漢の群雄)(生年不詳 - 196年)は、後漢末の広陵太守。陳留太守の張邈の実弟。194年に徐州遠征に赴いた曹操の留守を狙って、曹操の大将の陳宮、兄・張邈と謀議して、潁川太守の呂布を推戴して謀反を起こした。だが曹操が勢いを盛り返して、かえって撃退された。翌年に張邈は袁術に救援を求めにいく途中で部下に暗殺された。一方、陳留に残っていた張超も家族を連れて雍丘城に移り籠城したが、曹操の猛攻撃を受け、かつての部下・臧洪の救援を待つも叶わず、城は陥落した。張超は自殺し、一族は皆殺しにされた(『三国志』武帝紀・呂布伝)。臧洪は主君の袁紹に救出を願いでていたが、許されなかったのを恨んで離反し、やはり攻め滅ぼされた(『三国志』『後漢書』臧洪伝)。