強風
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強風(きょうふう )とは、
- 強い風。ビューフォート風力階級では7の風。
- 日本海軍が開発した水上戦闘機。本稿で記す。
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[編集] 強風(戦闘機)
日本海軍は日中戦争時に九五式水上偵察機を戦闘機代わりに使用した実績から、南洋諸島に侵攻した際の飛行場完成までの制空権確保のため、昭和15年(1940年)本格的な水上戦闘機を開発することにした。設計生産は川西航空機、主任設計技師は二式大艇を開発した菊原静男。連合国コードネーム「Rex」。
なお本機は、当初から水上戦闘機として開発され制式採用・量産された第2次大戦機として、日本はもちろん世界唯一の機体である。本機から発達した紫電・紫電改は局地戦闘機としてB-29邀撃に活躍した。
[編集] 試作指示
試作指示書によると
- 速力:高度5,000メートルで310ノット(時速574km/h)以上
- 航続距離:巡航速度で6時間以上
- 武装:20mm機銃及び7.7mmまたは13mm機銃各2門か、7.7mm機銃4門
という物であった。爆装は30kg爆弾×2。
当時実用化された零戦一一型と比較した場合、速度で30ノット以上上回り、航続距離で3分の2、武装で同等以上となる。簡単に言えば「新鋭主力戦闘機と同じ性能の水上機を作る」事を要求されており、零戦の時もその要求は過酷であったがこれは不可能と言った方がいい物である。
[編集] 機体
川西航空機は、この要求に答えるため、前年試作指示の出た水上偵察機「紫雲」同様の各種新基軸を取り入れる事になった。
- 層流翼
- 空気摩擦抵抗を減少させる翼形で、通常翼は断面の最大厚位置が30%付近にあるが、層流翼は40%ほどの位置である。層流翼は、その効果を発揮するには翼表面の仕上がりにより厳密さを要求される。
- 大型機用の発動機「火星」を搭載したが、大馬力による偏向性解消のため、2翅のプロペラを2つ合わせて一組とし、それぞれ逆回転させ相殺するようにした。これはトルクを押さえ込むのに有効であり、操縦性・安定性も良好でテストパイロットからの評判も非常によかったが、油もれと機構の複雑さからくる整備性の悪さを解消する事が出来ず、量産型では通常の3翅プロペラに切り替えられた。
- 運動性においても、陸上機(艦上機)との戦闘を有利にするため、フラップを空戦時に最適な角度で自動動作させる装置を開発した。これは、水銀を入れた容器とピトー管からきた風量を組み合わせた装置であり、戦闘前に作動させれば後は機械的に動作する。しかし、初期の装置は中の水銀が錆びたりするなどしてうまく起動しないということになった。
[編集] 諸元
- 機体記号:N1K1
- 全長:10.58m
- 全幅:12.00m
- 全高:3.25m
- 最大速度:482km/h
- 生産数:97機
[編集] 結果
昭和18年(1943年)末制式採用されたが、すでにその時期には日本軍は守勢の状態となっており、本機の存在理由は消滅していた。本来本機は、進出してくる正規航空部隊が到着するまでの代替機という物であり、同時期に計画され完成した二式水上戦闘機で十分であった。ラバウルやフィリピン方面などにも配備され、アメリカ爆撃機を撃墜する機会もあったが、ほとんど戦局に寄与せず終わった。
このように、強風は完全に登場時期を逸して不要な存在となったが、本機を元にして陸上機とした紫電、さらにそれを改良した紫電改が開発され、終戦直前に活躍している。
また、アメリカ海軍は港湾地区防衛というコンセプトに、コンベア社に「F2Y/XF2Y/F-7(シーダート)」と言う戦闘機を試作させている。
[編集] 関連項目
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