徐達
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徐達(じょたつ、1332年 - 1385年)は、明初の将軍。字は天徳。朱元璋の旗揚げ時から協力し、元を追って新王朝を立てるのに大きな功を挙げた。
安徽省の農民出身で、同郷の朱元璋とは古くからの親友であったといわれる。1353年以降、朱元璋と行動を共にして紅巾軍に参加し、朱元璋が台頭してくる中で側近として活躍し、1364年に朱元璋が呉王となると、徐達もそれまでの数々の功績を賞されて大将軍・左相国に任命された。
徐達は軍人としての才能に優れ、軍閥の張士誠との戦いや山東の平定に功績を挙げて征慮大将軍に昇進。朱元璋による江南の平定がなり、明が建国された1368年には元朝の支配下に残された華北を奪取し中国の統一を回復すべく派遣された北伐軍を率いて北上し、河南の元朝側の軍閥ココ・テムルを破り、元の皇帝トゴン・テムルを北に追いやって大都を占領、中国からモンゴルの勢力を駆逐した。徐達はこの功績をもって明の太祖となった朱元璋から創業第一の功臣と賞され、右丞相、魏公に任命された。
その後も元との戦いに活躍するが、功績を立てすぎたことから皇帝となって疑心暗鬼となった朱元璋に次第に疎まれるようになっていた。徐達は1385年に病死したとされているが、朱元璋に毒殺されたという説もある。徐達は、軍紀には厳粛で冷静沈着、第一の功臣となっても奢ることがほとんどなかったため、軍内においてその人望は非常に高かったという。その有能さと名望を朱元璋に恐れられて毒殺されたとみる説も故ないことではない。
朱元璋時代の明の都、南京にある徐達の邸宅は「太平天国歴史博物館」として現存している。