徳宗 (唐)
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徳宗(とくそう、742年 - 805年、在位は779年 - 805年)は、唐の第九代皇帝。第八代皇帝・代宗の長男。諱は适。
父代宗が即位すると大元帥に任じられ、安史の乱の終息に務めた。
764年(広徳2年)皇太子となり、779年(大暦14年)父が崩御したために後を継いで即位した。徳宗は、唐の財政再建に尽力し、楊炎の進言に従って新しい税法である両税法を施行した。さらに節度使の勢力を抑制するために兵力削減や世襲禁止などの抜本的な改革を行なおうとしたが、これがかえって節度使の反発を招き、逆に反乱を起こされて長安を追われてしまった。このため徳宗は、784年に『己罪詔』を発して、節度使に対する不介入を約束した上で混乱を収束したという。このため、徳宗の改革は短期間で失敗に終わり、かえって唐はさらなる財政難に見舞われてしまうことになったという。
以後、節度使の勢力はさらに強まり、唐の権力は一掃弱体化の一途をたどった。
徳宗の治世は両税法の施行のためにか、『中興の治』と呼ばれているが、あまりふさわしい成果はほとんどないのが実情である。
目次 |
[編集] 宗室
[編集] 后妃
- 昭徳皇后
- 韋賢妃
[編集] 子
- 李誦(順宗)
- 文敬太子(邕王)李謜
- 舒王李誼
- 通王李諶
- 虔王李諒
- 肅王李詳
- 資王李謙
- 代王李諲
- 照王李誡
- 欽王李諤
- 珍王李諴
[編集] 年号
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