心の理論
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心の理論(こころのりろん、英語: Theory of Mind)とは、ヒト(あるいは類人猿)が、他者の心の動きを類推したり、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解したりする機能のことである。
心の理論という言葉は、プレマックとウッドラフによる "Does the chimpanzee have a theory of mind?" (「チンパンジーには心の理論があるのか?」)という論文において初めて使用された。
自閉症などの患者においては心の理論の発達が遅れ、社会的コミュニケーション不全の原因の一つになっているといわれている。
ここ10年の間イヌ、イルカ、ヤギ、カラス等の動物でも社会的認知能力 の一部である視線を追う能力が確認された。(要出典)
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[編集] 検査法
心の理論の機能を調べる検査の次の二つが有名である。「自分はある事実を知っている。では、それを知らない他者はどう考えるか」を問う課題である。
[編集] スマーティ課題
スマーティはネスレ社のチョコレート菓子の名称である。
- お菓子の箱の中に、被験者から見えない所で予め鉛筆等を入れておく。
- お菓子の箱を見せ「何が入っているかな?」と問う→答え:「お菓子」。
- お菓子の箱を開けると、鉛筆が入っている。→「お菓子じゃなくて鉛筆だった」。
- お菓子の箱を閉じる。
その後「じゃあこれを家に持っていってお父さん/お母さんに見せたら、お父さん/お母さんはこれに何が入っているというと思う?」と問う。
[編集] サリーとアン課題
- 二人の登場人物を紹介する(サリー、アン)
- サリーがボールをかごの中に入れる。
- サリーが席を外している間に、アンがボールを別の箱の中に移す。
- しばらくしてサリーが戻ってくる。
という内容の人形劇、紙芝居等を被験者に見せ、その後「サリーはボールを見つけるためにまずどこを探すかな?」と質問する。
前者では「お菓子」、後者では「かごの中」と答えるのが正解であり、多くの場合4歳程度になると、この二問に正解できるようになる。しかし心の理論の発達が遅れていると「鉛筆」、「箱の中」と事実ありのままを答えてしまう。心の理論の障害が想定されている自閉症などの患児、患者は高年齢になっても誤答する割合が高い。事実のみに目を向けてしまい、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解できないのである。
[編集] 心の理論の発達
- 18か月までに、「ふり」ができるようになる。
- 4歳までに、だますことが可能になる。精神遅滞の子供と自閉症の子供に、「箱の中にあるお菓子を他人に取られないようにする」という指人形の芝居を行ったところ、精神遅滞の子供では「騙し」と「サボタージュ」という方略をとることができたが、自閉症の子供では精神年齢を統制しても、「騙し」のみ成績が不良であった。
[編集] 心の理論の神経基盤
実証的な研究では、サルによる神経細胞活動の記録実験や、ヒト及びサルの脳機能イメージングによって、心の理論に関係する中枢領域が判明してきた。
バロン=コーエンは、他者の心を読むための機構として、意図検出器(Intentionality Detector:ID)、視線検出器(Eye-Direction Detector: EDD)、注意共有の機構(Shared-Attention Mechanism: SAM)、心の理論の機構(Theory-of-Mind Mechanism: ToMM)という4つの構成要素を提案している。
また、心の理論は進化の過程でヒトにおいて突然発生したものではなく、他の生物でもその原型となる能力があるのではないかと考えられている。それらの能力としてC.D.フリスらは、1.生物と非生物を区別する能力、2.他者の視線を追うことによって注意を共有する能力、3.ゴール志向性の行動を再現する能力、4.自己と他者の行動を区別する能力の4つを挙げている。
また彼らは、心の理論は脳の特定の局所部位の働きのみで成り立っているのではなく広範なネットワークで成り立っているのだろうとしながらも、特に心の理論を支える基盤となっている可能性のある部位として、上側頭溝(STS)、下外側前頭前野および前部帯状回/内側前頭前野を挙げている(右図)。
- STSでは、非生物の動きには反応しないのに顔や手の動き(biological motion)に対して反応する神経細胞が見出されている。また、STSには特定の方向への視線に反応する細胞や、他者が発した音や視覚には反応するが、自分で発した場合には反応しない細胞が見出されている。
- サルの腹側運動前野(F5)において、自己がゴール志向性の運動を行ったときにも、他者が同様の運動をしているのを見たときにも活動する神経細胞がある。これらはまるで鏡のように活動することから「ミラーニューロン」と名付けられている。この働きにより、他者の行動を心の中でリハーサルすることで追体験できると考えられている。ただし、サルにおいて心の理論に相当する能力があるのか問題であり、ミラーニューロンの機能と併せて議論の対象となっている。ヒトでは、この領域に相当するのは下外側前頭前野つまりブローカ野の一部(44野)に相当すると言われている。
- 前部帯状回/内側前頭前野は、自らの感情を自覚する課題を施行中に血流増加するという報告があり、情動の主座である辺縁系と前頭前野を連絡する働きがあると推測されている。
[編集] 参考文献
- Ames DR (2004). “Inside the mind reader's tool kit: projection and stereotyping in mental state inference”. Journal of personality and social psychology 87 (3): 340-53. PMID 15382984.
- Premack D, Woodruff G (1978). “Does the chimpanzee have a theory of mind?”. The Behavioral and Brain Sciences 1 (4): 515-526.
- "Interacting minds--a biological basis." (C.D.フリスによる総説)
- Heyes, C. M. (1998). Theory of mind in nonhuman primates. Behavioral and Brain Sciences 21 (1): 101-134.
- 自閉症とマインド・ブラインドネス サイモン バロン=コーエン 著、長野 敬・長畑正道・今野義孝 訳 青土社 ISBN 4-7917-5968-0
- 板倉昭二(2004)他者の心:メンタライジングを中心に 波多野・大津(編) 「認知科学への招待」 研究社