悪四郎妖怪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
悪四郎妖怪(あくしろうようかい)は、江戸時代に日本の安芸国(広島県)の真定山にいたとされる妖怪。本名を石川悪四郎という。
目次 |
[編集] 伝承
根岸鎮衛の著書『耳袋』で、根岸が五太夫という男から聞いた体験談が述べられている。
五太夫が15歳の頃、年上の三左衛門という男に、悪四郎妖怪を見物するために真定山へ登るよう誘われ、共に山へ登った。
2人がいざ到着した山の頂上は大変な悪所で、地面は震え、黒雲の立ち込める空からは雨が降り出した。三左衛門はこの様子に恐怖し、自分が言い出したにもかかわらず、引き上げることを提案した。しかし五太夫は、夜になっては足場が危険なので夜明けになってから降りると言い、結局は三左衛門だけが先に下山した。
五太夫が山中で1人で野営していると、周囲で様々な怪異が起き、夜もろくに眠ることができなかった。翌朝ようやく下山した五太夫が三左衛門を訪ねると、彼は熱病で寝込んでいた。そればかりか五太夫も、家に頻繁に妖怪が現れるようになった。しかし五太夫はこれに決して怯むことはなかった。
1週間ほど後、悪四郎妖怪は僧侶に姿を変えて五太夫のもとを訪れ、彼の勇敢さを称え、自分たちは山から姿を消すことを告げた。五太夫が、妖怪との話合いの証拠となる物が必要と答えたところ、悪四郎妖怪は姿を消したが、代わりに三尺(約90cm)ほどの用途不明のねじ棒が家へ投げ込まれた。五太夫は寺にこの棒を納め、自分の出遭った妖怪たちを絵巻物に記して残した。
[編集] 考察
この話は、『耳袋』以前に記された『稲生物怪録』とほぼ同じである。そのことから、根岸が五太夫から聞いた話を記す際に書き誤った、もしくは五太夫が自分の体験談を語る際に『稲生物怪録』をもとに脚色したとの説もあるが、現代においては真偽を確かめる術はない。
[編集] 出典元
- 水木しげる 『図説 日本妖怪大全』 講談社、1994年、40頁。
- 村上健司 『妖怪事典』 毎日新聞社、2000年、32-33頁。
- 水木しげる 『妖鬼化 4 中国・四国編』 Softgarage、2004年、6頁。