稲生物怪録
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稲生物怪録(いのうもののけろく)とは、江戸時代中期1749年(寛延2年)、備後三次藩(現在の広島県三次市(みよしし))藩士、稲生武太夫(幼名・平太郎)が体験したという妖怪にまつわる怪異をとりまとめた物語。
筆者は柏生甫であり、当時16歳であった実在の三次藩士、稲生平太郎が寛延2年の7月の一ヶ月もの間、体験したという怪異をそのまま筆記したと伝えられている。あらすじは、平太郎の屋敷にさまざまな化け物が出没すが、平太郎はこれをことごとく退け、最後の妖怪の魔王から勇気を称えられ木槌を与えられるというものである。平太郎の子孫は現在も広島市に在住、前述の木槌も実在し、「稲生物怪録」の原本も当家に伝えられているとされる。
[編集] 解説
その内容の奇抜さから、多くの高名な文人・研究者の興味を惹きつけた。まず江戸後期に国学者平田篤胤によって広く流布され、明治以降も泉鏡花や折口信夫らが作品化している。近年の妖怪ブームにのり最近では民族学者の谷川健一や荒俣宏、伝奇作家の京極夏彦らも関連本を発行、また三次を舞台にした漫画、朝霧の巫女に取り上げられた事で三次に若い観光客が増えているという。
[編集] その他
広島市の広島駅前、南区稲荷町の「稲生神社」は稲生武太夫を御祭神として祭っている。町名と違う理由は諸説あり定かでない。17世紀初頭に創建されたが、原爆で全て焼け再建された後、更にビルの建設で、当初の位置より少し東寄りにずれ再々建された。昨今の妖怪ブームで前述の荒俣宏や京極夏彦、水木しげるも調査に訪れている。
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