憲法みどり農の連帯
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1995年に、社会党の小選挙区制導入反対した議員が結成した「新党護憲リベラル」から「平和・市民」へと名称変更を図った際に、自社さ連立に閣外協力的な立場をとる田英夫・國弘正雄らと反自民党・反新進党の革新路線を堅持する翫正敏らとの路線対立が表面化し、袂を分かった翫が星野安三郎(立正大学名誉教授、憲法・教育法学)らと共に作った護憲新党。翫と星野が共同代表を務めた。
1995年の参議院選挙間近に作ったこともあり、翫ら候補者個人の知名度はあったものの、党の知名度は浸透せず、惨敗。参院選東京選挙区候補だった尾形憲(法政大学名誉教授、平和学)が共同代表に加わり、現在も護憲と環境保護を謳い活動している。また、翫は後に新社会党でも活動している。
突然の分裂に、庄幸司郎などから「連帯」側への批判が相次いだが、翫は「右傾化し自民に追従した田らこそ分裂の元凶」と強く反論した。