成田空港手荷物爆発事件
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成田空港手荷物爆発事件(なりたくうこうてにもつばくはじけん)とは成田国際空港(当時の正式名称は新東京国際空港)の手荷物サービスセンターで航空貨物が爆発した事件である。別名を「カナダ太平洋航空機手荷物爆発事件」ともいう。(ウィキペディア英語版では「インド航空301便事件”Air India Flight 301”」として投稿されている)なおこの事件は国際的テロによるもので、ほぼ同時刻に大西洋上でもインド航空のジャンボ機の貨物室においても爆発が起き墜落する惨事になった。
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[編集] 事件の概要
1985年6月23日午後3時20分ごろ、成田空港ターミナル2階の荷捌き場でカナダ・バンクーバーから到着したカナダ太平洋航空3便から東京発バンコク行きのインド航空301便に積み替える航空貨物が爆発し、作業員2名が死亡し4名が重傷を負った。一方、同時刻の日本時間午後4時15分(イギリス時間午前7時15分)に、大西洋上を飛行していたインド航空182便が墜落し、搭乗していた乗員乗客329名全員が犠牲になる惨事が発生していた。
[編集] 事件の真相
まったく関連の無いように思われた事件であったが、いずれも実際に搭乗しなかった乗客が預けた手荷物が爆発して起きたものであった。事件発生直後は成田空港反対派(過激派)によるテロとも思われた。 この乗客はインドからの分離独立を主張して闘争活動していたシーク教過激派のメンバーであり、最終的にインドに向かうバンクーバーを出発するカナダ太平洋航空3便(バンクーバー~東京)からインド航空301便(東京~バンコク)に乗り継ぐ便と、カナダ太平洋航空60便(バンクーバー~トロント)からインド航空181便/182便(トロント~モントリオール~ロンドン~インド)に乗り継ぐ便に予約を入れていた。そのため犯人は2機のインド航空を爆破するつもりであり、その後逮捕された犯人(後述)の供述から爆発物の時限爆破装置のセットを間違ったため地上で爆発したものと判明した。また空港側のセキュリティーチェックも爆弾を見過ごしてしまい実際に旅客機に搭載するミスをしていた。
事件は不幸にも成田空港で犠牲者が出たが、もしインド航空機の貨物室で爆発していたならば日本領空ないしその近隣で墜落する最悪の惨事が危惧されていたという、酷薄の真相であった。なおインド航空301便は午後5時5分に無事離陸した。
[編集] 犯行の動機
1980年代、インド国内ではシーク教徒とヒンズー教徒との対立が激化しており、1984年にはインド政府軍がシーク教徒の聖地を襲撃する「黄金寺院事件」が発生した。その報復として、シーク教徒は当時のインド首相を暗殺したほか、この航空テロを引き起こしたものであった。成田空港における爆発事件については、犯人2人は1988年2月にイギリスで逮捕され、カナダに引き渡されたが、カナダの法廷は懲役10年を1991年5月10日に宣告した。
[編集] 関連事項
- インド航空182便爆破事件
- 黄金寺院事件
[編集] 外部リンク
- インド航空爆破事件の背景事件の背景を解説したもの(英語)
- Death of Flight 182 website(英語)