戸田氏綏
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戸田 氏綏(とだ うじやす)は、美濃大垣新田藩(三河畑村藩)の第7代藩主。
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 文化2年(1805年) | |||
死没 | 安政2年(1855年) | |||
別名 | 雄之丞(幼名) | |||
墓所 | 東京都文京区向丘の蓮光寺 | |||
官位 | 従五位下、淡路守 | |||
藩 | 美濃大垣新田藩主(三河畑村藩主) | |||
氏族 | 戸田氏 | |||
父母 | 父:戸田氏教、養父:戸田氏宥 | |||
兄弟 | 戸田氏庸、本多助賢、遠藤胤統、戸田氏綏 | |||
妻 | 正室:柳沢保光の娘 | |||
子 | 養子:戸田氏良 |
美濃大垣藩の第7代藩主・戸田氏教の四男として生まれる。大垣新田藩の第6代藩主・戸田氏宥の養子となり、文政9年(1826年)6月21日の戸田氏宥の隠居により、家督を継いで第7代藩主となった。同年冬には、従五位下、淡路守に叙位・任官される。その後、大番頭、奏者番に任じられている。
安政2年(1855年)5月、養子の戸田氏良に家督を譲って隠居した。同年、51歳で死去。
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