戸田氏良
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戸田 氏良(とだ うじよし)は、美濃大垣新田藩(三河畑村藩)の第8代藩主。のちに美濃野村藩主。
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時代 | 江戸時代後期(幕末)から明治時代 | |||
生誕 | 天保10年5月28日(1839年7月8日) | |||
死没 | 明治25年(1892年) | |||
別名 | 柳次郎、鈴次郎(幼名) | |||
墓所 | 東京都文京区向丘の蓮光寺 | |||
官位 | 従五位下、淡路守、正五位、子爵 | |||
藩 | 美濃大垣新田藩主(三河畑村藩主)→ 美濃野村藩主 |
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氏族 | 戸田氏 | |||
父母 | 父:戸田氏正、養父:戸田氏綏 | |||
兄弟 | 戸田氏彬、戸田氏良、戸田氏共 | |||
妻 | 正室:丹羽長富の娘 |
天保10年(1839年)5月28日、美濃大垣藩の第9代藩主・戸田氏正の次男として生まれる。大垣新田藩の第7代藩主・戸田氏綏の養子となり、安政2年(1855年)5月、戸田氏綏の隠居により家督を継いで第8代藩主となり、従五位下、淡路守に叙位・任官される。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府に恭順して北越に出兵した。しかし大垣新田藩は大垣藩の支藩であり、なおかつ藩の内情を本家に頼りきっていたため、明治2年(1869年)の版籍奉還では藩知事に任命されなかった。そこで5月27日、藩庁を美濃大野郡野村に移して野村藩と改称し、その上で所領引渡しなどの政治工作を行なったのである。このため10月22日、氏良は野村藩知事に任命された。
明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免職となる。その後、正五位に昇叙され、子爵に任じられた。明治25年(1892年)に死去。享年54。
短歌に優れた歌人でもあり、「明治勅題歌集」54巻や「増補勅題歌集」47巻に氏良の歌が収録されている。
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