扶余神社
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扶余神社 | |
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所在地 | 朝鮮・忠清南道扶余郡扶余面 |
主祭神 | 応神天皇 斉明天皇 天智天皇 神功皇后 |
社格等 | 官幣大社 |
創建 | 未鎮座 |
扶余神社(ふよじんじゃ)は、日本統治下の朝鮮・忠清南道扶余郡に創建予定だった神社である。創建の計画中に日本の敗戦をむかえ、鎮座されることはなかった。計画の段階から扶余神宮の呼称も用いられていた。
扶余(古名は泗沘)は、日本と関係の深かった百済の最後の都があった地である。朝鮮総督府はこの地に扶余神宮を創建し、扶余を「神都」とすること計画し、1939年(昭和14年)6月15日に官幣大社として創立された。祭神は朝鮮と関係の深い応神天皇・神功皇后(三韓征伐)および斉明天皇・天智天皇(白村江の戦い)とすることを予定していた。1943年(昭和18年)の鎮座を目指していたが、社殿の基礎工事がほぼ完了した程度で1945年(昭和20年)の敗戦をむかえた。
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