持永和見
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持永 和見(もちなが かずみ、1927年7月1日-)は、戦後期の日本の官僚・政治家。自由民主党宏池会所属の衆議院議員で5期務めた。宮崎県都城市出身。
[編集] 厚生省時代
- 薬害エイズ事件当時の薬務課長で、当時の方策について選挙のたびごとに批判を受けてきた。
ミドリ十字の非加熱製剤を指定した当時、前薬務局長の松下康蔵がミドリ十字の社長を勤めていたことから癒着を指摘されていた。
- 官僚時代の評価は生真面目で優秀と言われていた。
宮崎県出身の官僚は少数派だが一般に生真面目で優秀との評価が定着している。
[編集] 衆議院議員時代
1986年衆院選に出馬し初当選、以後5期連続務める。
ミドリ十字から政治献金を受けていることが、常に逆風となり選挙では苦しみつづけていた。
2003年11月の第43回衆議院議員総選挙では出馬せず引退。地盤の宮崎3区に、息子で元経産官僚の持永哲志が後継者として出馬するが落選。