教学聖旨
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教学聖旨(きょうがくせいし)は、1879年に明治天皇より参議伊藤博文・同寺島宗則(文部卿兼務)に出された教育方針。
総論である「教学大旨」及び小学校教育に関する「小学条目二件」から構成されている。学制以来の明治政府の啓蒙主義的な教育政策を否定し、明治以前の儒教中心の教育に戻す事、庶民教育は読み書き算盤を主体とする実学と儒教的徳目育成のみで十分とする趣旨であった。
ところがこの文章の実際の執筆者が保守的な儒学者として知られていた侍補の元田永孚である事が分かると、伊藤は激しく激怒した。かねてより日本の近代化そのものに否定的な考えを持っている事で知られた元田に警戒感を抱いていた伊藤は直ちに「教育議」を執筆して元田の主張こそ現実離れの空論であると噛み付き両者は激しく論争した。間もなく伊藤は侍補の廃止を決断する一方、高まる自由民権運動に対抗するために道徳教育の強化には同意して政府の教育政策の継続が認められた。
だが、明治政府の立憲国家建設に真っ向から反対して天皇親政を唱える元田に対する明治天皇の信任は増すばかりであり、伊藤らは政府の方針と天皇の意向の乖離に苦慮する事になる。一方、元田の理念はそのままの形では実現されなかったものの、その儒教的・絶対的な天皇中心主義は「教育勅語」という形で実現する事になった。
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