日本法
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日本法(にほんほう)は日本における法。大陸法系に属する。 近代以前の日本では中国律令の影響を受けたが、明治維新以後の近代法の継受の過程で近代以前の法はほとんど顧みられずその影響は、入会権等のごく限られた分野を除けば現代においてほとんど影響力を有していない。 明治維新以後、明治政府は日本の近代化の一環として、近代的な法制度の確立をめざし、外国法を継受することになる。大陸法の流れを受けており、特にドイツ法の影響が顕著である。そのため日本法はドイツ法の亜流とされる。戦後のGHQによる占領でアメリカの影響をうけ、憲法や刑事訴訟法はアメリカ法の影響も相当受けている。また台湾や朝鮮半島の統治を通じて台湾法や韓国法に影響を与えており、現代でもなおこれらの諸国では強い影響を与えている。
目次 |
[編集] 日本人の法意識
ここでは、従来日本人が持っているとされる法意識について記述する。
[編集] お上意識
[編集] 争いごとを好まない意識
[編集] 日本法の形成と発展過程
[編集] 近世以前における日本法
詳細は日本法制史を参考
紀元前5世紀前後朝鮮半島から稲作が日本に伝わり、紀元前4世紀ころには水稲耕作を基礎とする弥生文化が成立した。農耕社会の成立に伴ない、大規模な集落が形成されるようになると社会において紛争が生じるようになる。古代の農村においては、部族の長が仲裁したり呪術による占いなどによって争いごとを解決したと思われる。古墳時代になると、原始的な宗教が進化して、鹿の骨を焼いて吉凶を占う太占の法や、裁判に際して熱湯に手を入れ、手がただれるかどうかで主張の真偽を問う盟神探湯など呪術的な風習によって争いごとを解決するようになったようである。