ノート:日本統治時代 (台湾)
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中国への復帰か台湾独立かは別として彼等は台湾に対する外国の植民地支配(その外国の定義が違うのだが)には断固反対の姿勢を貫いている。 一般の台湾民衆の感情としては、植民地統治に対する反感や嫌悪と、特に老人層には植民地時代に生身で接した日本人の人柄に対する個人的好感とが混在している。彼等は李登輝のような植民地支配肯定論者は非難する人が多いが、かといって日本人個人に対する否定的意識は概して弱いといえる。 唯台湾の場合朝鮮より更に統治期間が長く、又朝鮮と違って表面的には紳士的な日本人植民者が多かったことで日本への同化(裏を返せば台湾文化の抹殺である。)がかえって深い部分まで浸透していたといえる事情もある。 このような『魂の征服』を深く受けた状態で、台湾から時折出てくる植民地支配肯定論を額面どおりに受け取ることは危険だともいえる。 無論同様の問題は日本の植民地支配に限らず、他の帝国主義国の植民地支配全般にも共通することである。 219.161.188.127 2006年8月11日 (金) 19:51 (UTC)
履歴から署名を追加させて頂きました。 --Necromania2 2006年8月16日 (水) 17:35 (UTC)
[編集] 日本統治の実情の項の変更
- 「日本統治の実情」⇒「日本統治の功罪」
- 「実情」という言葉は「~と言われているが、本当は~」という意味を含むと思います。現状日本の教育等で事実を隠蔽、歪曲して教えられているような実例を私は知りませんので。何かよい言葉があったら提案してください。
- 「差別意識も少なからずに存在」⇒「差別意識も存在」
- 当初は「一部では」という表現だったと思いますが、どちらにしろ議論の分かれるところでの主観による修飾表現ですから削除しました。
- 「朝鮮に比べ多少穏やかだったとはいえ、日本人が支配者として台湾人を支配するという植民地の本質を覆すようなものではなかった」⇒削除
- 朝鮮の何と比べどう穏やかだったのかもわかりません。なぜ唐突に朝鮮と比べる必要があるのかも分かりません。また、日本人=「支配者」、台湾人=「被支配者」というのも「支配」という言葉を含めて議論の分かれるところだと思います。この文言をいれるなら「~という主張もあるが、~という説もある」というWP:WEASELに触れるような両論併記を主張せざるを得なくなります。
- 「日本人化が強制されるなど台湾文化の抹殺ともとれる政策」⇒「日本人との同化が義務化されるなどの政策」
- 「強制」は妥当な表現とは思いません。一国民が属する国家によって果されたことなので「義務」が適当だと考えます。また、「台湾文化の抹殺ともとれる」は議論が分かれると思いますが、私は「文化を抹殺」するような政策はなかった、と考えます。具体的に「文化を抹殺」にあたるような政策を例示してください。
以上、このところ編集合戦が頻繁に起きてますので変更理由を記します。--Redpepper 2006年8月27日 (日) 14:13 (UTC)
[編集] 日本統治の功罪の項の変更提案
- また、当時理蕃政策といわれた先住民に対する統治では、結果的に先住民の教育水準が一定程度の向上を見せ、又、法的には日本人や中国系住民とほぼ同等の権利の保障が認められるようになったが、一方で社会的な差別は根強く残存した。
- さらにこうした差別や、経済的・政治的格差に対する反発から、植民地統治に反抗する武力蜂起も数多く起こった。こうした武力蜂起は日本警察や軍隊により悉く鎮圧され蜂起に参加した者の多くは逮捕、もしくは殺害された。特に、日本統治時代最大規模の武力蜂起である霧社事件の際は、鎮圧への毒ガス使用が検討された(実際に使用されたかどうかについては諸説ある)。また、蜂起した原住民部族に対する出草(首狩り、理蕃政策の一環として法律で規制されていた風習)が、鎮圧に協力した部族に許可された。このため、事件前に1400人だった霧社地区の人口は、事件後500人にまで減少した。
漢民族の抵抗運動を台湾民主国の建国と武装抗日運動の項に含め、先住民の武力蜂起を日本統治の功罪の項に含めているのは分かりにくいと思います。上の文章は、台湾民主国の建国と武装抗日運動の項に移した方がすっきりするのではないでしょうか。 --Necromania2 2006年9月21日 (木) 16:14 (UTC)