時天空慶晃
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時天空 慶晃 | |
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四股名 | 時天空 慶晃 |
本名 | Altangadas Khuchitbaatar |
生年月日 | 1979年9月10日 |
出身 | モンゴル・トゥブ県 |
身長 | 186cm |
体重 | 149kg |
所属部屋 | 時津風部屋 |
成績 | |
現在の番付 | 西小結 |
最高位 | 小結 |
生涯戦歴 | 190勝143敗(28場所) |
幕内戦歴 | 105勝105敗(14場所) |
優勝 | 十両優勝1回 三段目優勝1回 序二段優勝1回 序ノ口優勝1回 |
賞 | 技能賞1回 |
データ | |
初土俵 | 2002年7月場所 |
入幕 | 2004年7月場所 |
備考 | |
時天空 慶晃(ときてんくう よしあき、1979年9月10日生)は、モンゴル国トゥブ県アルタンボラグ村出身(父の出身地、本人はウランバートル生まれ)で時津風部屋所属の現役大相撲力士。東京農業大学国際食料情報学部卒業。本名はアルタンガダス・フチットバータル (Алтангадасын Хүчитбаатар)。得意技は寄り切り。最高位は西小結(2007年3月場所)。身長186cm、体重149kg。
目次 |
[編集] 来歴
父はモンゴル相撲の小結。ウランバートルの柔道クラブで朝青龍や朝赤龍、安馬らと稽古した。モンゴル国立農業大学進学後、スポーツ交流留学生として2000年4月、東京農業大学国際食料情報学部生物企業情報学科に入学。大学では相撲部に入部し、1年のとき全国学生相撲個人体重別選手権大会(100kg未満級)で優勝した。来日当初は勉強後モンゴルへ帰って教職につく予定だったが、大相撲で活躍する朝青龍、朝赤龍らの姿を見て次第に興味を持ち、入門時の年齢制限である23歳も迫っていたので3年次在学中のまま時津風部屋へ入門した。大学は夜間主コースで2004年3月に卒業した。卒業式当日は場所中であったため、師匠の時津風親方が代わりに出席した。モンゴル出身力士で初めて、かつ唯一の、日本の大学を卒業した力士である。
その間に2002年7月場所に前相撲から初土俵。同期7人の中で1番目に出世を決めた。翌場所から3場所連続全勝優勝。板井の26連勝に次ぐ序ノ口からの22連勝を記録した。柔道経験を活かして二枚蹴りや内掛けといった足癖を見せた。序二段では優勝決定戦を含め8番のうち6番の決まり手が足技(掛け手)であった。2004年3月場所には十両昇進。十両を2場所で通過し、7月場所には初土俵から所要12場所の史上最速タイ(当時)で新入幕を果たした。2005年5月場所では相手の安馬の背後をとって、柔道のすくい投げを思わせる豪快な足取り(モンゴル相撲のホンゴトフという技)を決めて勝ち、館内を沸かせた。翌場所には逆に足を取られたものの1分近くその体勢で耐えたが、惜しくも敗れた。同年9月場所はまたも同じく安馬戦で、6分半を超える水入りの相撲をとったが、敗れた。
足技ばかりが目立つ相撲が長く続いたが、突っ張りも強力な武器となりつつある。2005年11月場所には西前頭7枚目で10勝5敗を挙げ、突っ張りが評価されて技能賞を受賞した。これにより、2006年1月場所では西前頭筆頭となるが、三役力士相手に苦戦。前頭上位と中位を行き来した後、同年7月場所に東前頭8枚目で10勝を挙げ、千秋楽での白星を条件に敢闘賞の候補となるが、11勝目を挙げることはできなかった。しかしこの二桁勝利のため、9月場所では西前頭2枚目に番付を上げ、この時は7勝8敗と負け越すも、翌11月場所では東前頭3枚目で9勝6敗、さらに翌年1月場所では東前頭2枚目で8勝7敗の成績をあげ、翌3月場所では西小結に昇進した。
新小結の初日は横綱・朝青龍から見事勝利を挙げた。一度は土俵際まで攻められるも素早く体位を入れ替え、朝青龍の腰に後ろからしがみついた。そして朝青龍が無理に向きを変えようとしたところをついて送り倒した。その日は既に3大関が敗れており波乱の形相を呈していたが、朝青龍の手がついた途端館内の熱気は最高潮に達し、座布団が乱れ飛んだ。この場所は魁皇・琴欧洲の2大関を倒す活躍も見せ、最終的には7勝8敗と惜しくも負け越してしまったものの、勝ち星を挙げた取組には、内容のいいものが多かった。
足技、突っ張りに加えて、最近は体重を増やすと同時に正攻法の攻めも習得し、上位に対してもかなり通用するようになっている。今後の三役への定着が注目される。
[編集] エピソード
- 2006年9月場所初日に、栃東に勝ち、大関から初の白星を挙げた。この日は27歳の誕生日でもあり、取組後のインタビューで「この日に自分を産んでくれた母に感謝します」とコメントし、さらに「お母さんに一言」と言われて、「バヤルララー」(モンゴル語のありがとう)と答えた。
- 翌年3月場所初日には横綱・朝青龍から初めて白星を挙げた。取組後のインタビュー中は、笑顔が無く目が潤んだような状態で、アナウンサーの問いかけにも上の空だったが、翌日のNHKの大相撲中継で、インタビュー後に風呂に入っているうちに、喜びがじわじわ沸いてきたという本人のコメントが紹介された。また、この時のインタビューで「突っ張りの腕も磨いて、千代大海関のようになりたい。」とも話した。実際、師匠である時津風親方も、専門誌で「突っ張りを習得したことで攻撃の幅が広がった」と評価している。
- 時天空の四股名は、入門の際に、東京農業大学相撲部の安井和男監督(当時)がつけてくれたもので、時津風部屋の「時」と、モンゴルの広い空にちなんだとされる。
- 読売ジャイアンツのファン。ビリヤードの腕前もかなりのものと言われる。また、モンゴル人らしく乗馬も得意で、この乗馬経験により養われたバランス感覚が、力士としての活躍にプラスに働いている。
[編集] 幕内での場所別成績
場所 | 地位 | 勝数 | 敗数 | 休場 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
平成16年(2004年)7月 | 東前頭17枚目 | 6 | 9 | 0 | - |
平成16年(2004年)11月 | 西前頭15枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成17年(2005年)1月 | 西前頭17枚目 | 6 | 9 | 0 | - |
平成17年(2005年)5月 | 西前頭15枚目 | 8 | 7 | 0 | - |
平成17年(2005年)7月 | 東前頭12枚目 | 9 | 6 | 0 | - |
平成17年(2005年)9月 | 西前頭6枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成17年(2005年)11月 | 西前頭7枚目 | 10 | 5 | 0 | 技能賞(初) |
平成18年(2006年)1月 | 西前頭筆頭 | 5 | 10 | 0 | - |
平成18年(2006年)3月 | 西前頭6枚目 | 8 | 7 | 0 | - |
平成18年(2006年)5月 | 東前頭4枚目 | 5 | 10 | 0 | - |
平成18年(2006年)7月 | 東前頭8枚目 | 10 | 5 | 0 | - |
平成18年(2006年)9月 | 西前頭2枚目 | 7 | 8 | 0 | - |
平成18年(2006年)11月 | 東前頭3枚目 | 9 | 6 | 0 | - |
平成19年(2007年)1月 | 東前頭2枚目 | 8 | 7 | 0 | - |
平成19年(2007年)3月 | 西小結 | 7 | 8 | 0 | - |
通算 | 112 | 113 | 0 | - |
[編集] 主な成績
2007年3月場所終了現在
- 通算成績:197勝151敗(29場所)
- 幕内成績:112勝113敗(15場所)
[編集] 三賞・金星
- 技能賞:1回(2005年11月場所)
[編集] 各段優勝
- 十両優勝:1回
- 三段目優勝:1回(2003年1月場所)
- 序二段優勝:1回(2002年11月場所)
- 序ノ口優勝:1回(2002年9月場所)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 時天空 慶晃 - goo 大相撲
- 時天空関を勝手に応援するページ。 - ファンサイト。初土俵からの決まり手つき全成績など。