朱友文
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朱友文(しゅ ゆうぶん、生年不詳 - 912年)は後梁の皇族で、初代皇帝の朱全忠の養子で、字は徳明。彼は威風凛々とした風貌の持ち主で、学問を好み、よく議論し、詩に長けていたと史書は伝える。
[編集] 生涯
本姓は康で、名は勤。その才能を朱全忠に認められて、朱全忠の仮子と認められた。後に博王に封じられる。908年には、東京留守に任じられる。
921年、朱全忠の後継者としての有力候補視とされてたが、これを不満に思う朱全忠の実子で三男である郢王の朱友珪が父・朱全忠を殺害した。やがて、朱友文も難に巻き込まれ妻子共々に殺害され、朱全忠殺害の冤罪を着せられ、庶人に陥された。
朱友貞が末帝として即位すると、改めて官爵を復された。
[編集] 史料
『旧五代史』 (梁書卷十二 宗室列伝)
博王友文,本姓康,名勤,太祖養以為子,受禪後封為王。為東京留守,嗜酒,頗怠於為政。友弒逆,並殺友文。末帝即位,盡復官爵。
「新五代史 (卷十三 梁家人傳)
博王友文字德明,本姓康名勤。幼美風姿,好學,善談論,頗能為詩,太祖養以為子。
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