朱桓
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朱桓(しゅかん、178年 - 239年)は、中国、後漢末から三国時代にかけての呉の名将。字は休穆。子に朱異がいる。
呉郡の人。魏との戦いで、将軍として活躍し、功績を挙げたと言う。
朱桓はプライドが高く、主君の孫権以外からは命令を受けることを恥としていた。そのため、あるときは自分の上に配属された指揮官を斬り殺そうとしたこともあったという。また、その性格ゆえに己の過ちを認めようとせず、傲慢にふるまうこともしばしばであった。しかし、配下に対しては優しく接し、恩賞が足りないときは自身の財産を分与するなど、部下想いの人物であったという。配下だけでなく、その家族の顔と名前、じつに一万人を超える人数を一人として間違えることなく覚えていたといい、朱桓が死去したとき、呉の兵士の多くが嘆き悲しんだと言われている。 ちなみに、『捜神記』には、朱桓の下女は飛頭蛮と言う妖怪で、夜になるとよく飛んだということが書かれている。