李在田
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李在田 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 이재전 |
漢字: | 李在田 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
りざいでん |
片仮名: (現地語読み仮名): |
イ・ジェジョン |
ラテン文字転写: | I Jaejeon |
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李在田(イ・ジェジョン、りざいでん、1926年-2004年6月24日)は、大韓民国の軍人。
アメリカで軍事訓練を受け、朝鮮戦争では現場指揮官として朝鮮民主主義人民共和国と戦うと共に、自分の部隊の兵卒に識字教育を実施した。
当時の教育水準では、漢字教育はおよそ不可能であり、ハングル教育に限定されたが、ハングルの読み書きが出来る兵卒と出来ない兵卒とを組ませ、3ヵ月後に学習成果が上がらない場合には処罰した。
朴正熙時代には、陸軍参謀総長として、対朝鮮民主主義人民共和国戦略を大統領に直接意見できる立場にあった。
退役後は、戦争博物館館長を勤める傍ら、漢字復活運動を開始。 道路標識や鉄道駅・バス停留所の看板に漢字を併記させ、住民登録証の氏名欄に漢字を併記させることを勝ち取った。 ハングル専用派に気兼ねする教育部を相手にせず、陸軍士官学校の後輩として睨みが利く国防長官を通し、徴兵された若者に軍隊内での漢字学習と漢字使用を強制しようとしたが、計画が実行に移される前に大腸癌のため逝去した。
全国漢字教育推進総連合会は、最高の実力者を失い、困惑の色を隠さない。