李如松
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李如松(りじょしょう、? - 1598年)は、明代の武将。文禄の役で明軍を率いて、日本軍と戦った。
遼東鉄嶺衛の出身で、字は子茂、諡は忠烈。遼東安定に多大な功のあった李成梁の子で、万暦20年(1592年)のボバイの乱の鎮圧で認められ、その直後に始まった朝鮮援兵で、防海禦倭総兵官として、朝鮮への援軍を率いた。
朝鮮に入ると、平壌に拠る小西行長の軍勢を追い散らして同地を回復したが、更に漢城へ進撃する途上での碧蹄館の戦いで小早川隆景、立花統虎らの軍勢に敗北を喫し、平壌に撤退した。その後、積極的な攻勢に出ることはなく、和議による事態収拾を図って帰国した。慶長の役には参戦していない。
万暦25年(1597年)に遼東総兵官とされて、太子太保を加えられたが、翌年4月に土蛮鎮圧中に伏兵に遭って敗死した。