村上国清
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村上 国清(むらかみ くにきよ、天文15年(1546年) - ?)は日本の戦国期の武将。村上義清の嫡男。
1553年、父とともに武田信玄に追われて上杉謙信を頼り、その家臣となる。その後は川中島の戦いや越中の戦いなど、謙信に従って各地を転戦。謙信死後は上杉景勝に仕え、その功績により上杉氏の一門である山浦氏を継ぐことと、景勝から一字を与えられて景国と名乗ることを許された。1582年には、海津城主となり父の旧領を回復する。1590年、豊臣秀吉の小田原攻めでは上杉軍の先鋒を務めて活躍する。1598年、景勝の会津移封に従って塩之森城代となり、1600年、関ケ原の戦いにも参陣したといわれているが、以後の消息は不明である。勇猛な武将であったと言われている。