東光寺 (山梨県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東光寺 | |
---|---|
所在地 | 山梨県甲府市東光寺 |
位置 | 山号 = 法蓋山 |
山号 | |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | 不詳 |
開基 | 不詳 |
正式名 | |
別称 | |
札所等 | 甲斐百八霊場56番 |
文化財 | 薬師堂ほか(重要文化財) 庭園(県の名勝) |
東光寺(とうこうじ)は、山梨県甲府市東光寺にある寺院。山号は法蓋山。臨済宗妙心寺派。本尊は薬師如来。甲斐五山のひとつ。
創建年代は不明だが、寺伝の由緒書によれば平安時代の保安2年(1121年)に新羅三郎義光が国家鎮護と仏法繁盛の祈願所として諸堂を再興し、寺号を興国院とした。その後荒廃し、密教寺院であったが鎌倉時代の弘長2年(1262年)に、配流されていた渡来僧の蘭渓道隆が禅宗寺院として再興し、寺号も東光寺と改める。「甲斐国志」では再興年を文永年間としている。また、官寺として執権北条高時から諸山位に次ぐ寺格を与えられ、五山十刹の次に位置。室町時代の応永27年(1420年)には、在所不明の大林寺から鐘が移されている。
天文年間には臨済宗妙心寺派に帰依していた甲斐国国主武田晴信(信玄)による保護を受けて再興され、山号を法蓋山、寺号を東光興国禅寺と改めた。陣夫役の免除など保護を受けた。この頃の住職藍田恵青は中興開山と位置づけられている。天文11年(1543年)7月の武田氏のよる諏訪侵攻で捕縛され連行された諏訪頼重が幽閉されて自害しており、また永禄8年(1565年)には謀反の疑いをかけられた武田家嫡男義信が幽閉されて永禄10年には切腹しており、裏山墓地には頼重や義信の墓所がある。天正10年(1582年)、織田氏の侵攻で武田家が滅亡すると焼き討ちに遭い、藍田恵青らも兵火で死去し、諸堂や文書類も焼失。
江戸時代には徳川氏のよる寺領と山林の安堵を受けたが、明治の廃仏毀釈の影響を受け、1945年(昭和20年)の甲府空襲では再建本堂を焼失している。諸堂のうち、禅宗仏殿の薬師堂は入母屋造檜皮葺屋根の中世以来の建築様式を残し、1956年に解体修理が施されて国指定文化財となっている。また、伝蘭渓道隆持来の木造薬師如来像や、木造十二神将像、蘭渓道隆書簡などを所蔵。庭園は寺伝では夢窓疎石の作庭とされる古庭園で山梨県指定名勝。
また、甲府市内の地名由来にもなっており、中世には東光寺郷、近世には東光寺村が見られ、1937年(昭和12年)からは甲府市東光寺町として現在に至る。