東郷青児
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東郷 青児(とうごう せいじ、1897年4月28日 - 1978年4月25日)は日本の洋画家。本名は東郷 鉄春。
独特のデフォルメを施され、柔らかな曲線と色調で描かれた女性像などが有名だが、通俗的過ぎるとの見方もある。後期には版画や彫刻も手掛けた。
[編集] 年譜
- 1897年 - 鹿児島市に生まれる。幼少時に一家は東京に転居。
- 1914年 - 青山学院中等部を卒業。青児の名前の由来はここからきていると言われている。
- 1915年 - 山田耕筰の東京フィルハーモニー赤坂研究所の一室で制作。 日比谷美術館で初個展、このころ有島生馬を知り、以後師事。
- 1916年 - 第3回二科展に出品した『パラソルをさせる女』により二科賞を受賞。
- 1921年から1928年までフランスに留学。リヨン美術学校に学ぶ。この頃の作品には、ピカソらの影響が見られる。
- 1928年 - 第15回二科展に留学中に描いた作品23点を出品、第1回昭和洋画奨励賞を受賞。
- 1930年 - ジャン・コクトーの『怖るべき子供たち』を翻訳、白水社より刊行。
- 1931年 - 二科会入会。
- 1938年 - 二科会に「九室会」が結成され、藤田嗣治と共に顧問になる。
- 1957年 - 岡本太郎と共に日活映画『誘惑』に特別出演(西郷赤児役)。日本芸術院賞受賞。
- 1960年 - 日本芸術院入会。
- 1961年 - 二科会会長に就任。
- 1969年 - フランス政府よりオフィシェ・ドルドル・デ・ザール・エ・レットル(文芸勲章)を授与される。
- 1976年 - 東京・西新宿に東郷青児美術館(現在の損保ジャパン東郷青児美術館)が開設。勲二等旭日重光章授与。
- 1978年 - 4月25日、旅行で訪れていた熊本市にて死去。没後、文化功労者、正四位追贈。