松平忠誠 (肥前国島原藩主)
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松平 忠誠(まつだいら ただなり、文政7年1月17日(1824年2月16日) - 弘化4年4月16日(1847年5月30日))は江戸時代後期の大名。肥前国島原藩第4代藩主。松平忠侯の次男。母は阿部正精の娘。正室は太田資始の娘。官位は従五位下、主殿頭。
シーボルトの弟子となって西洋医学を学び、藩の医学校・済衆館に薬草園を作り、薬草を栽培させた。弘化4年(1847年)に江戸で病死し、跡は弟の松平忠精が継いだ。
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