松平正久
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松平 正久(まつだいら まさひさ、万治2年5月7日(1659年6月26日) - 享保5年5月6日(1720年7月1日))は、江戸時代の大名、若年寄、奏者番。
[編集] 経歴
松平正信の次男。従五位下、はじめ弾正忠、後に備前守を称する。兄があったが、正久の誕生前に夭折している。なお、祖父の正綱も、はじめ松平正久と名乗っている。正室は織田長頼の娘。子に松平正貞。
- 元禄3年(1690年)4月27日、家を継ぎ、玉縄藩主となる。
- 元禄7年(1694年)2月19日、若年寄となるが、元禄9年(1696年)3月18日、不適任であるとして、奏者番に戻された。
- 元禄16年(1703年)2月10日、上総国大多喜藩に転ずる。
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