松平正貞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松平 正貞(まつだいら まささだ)は、江戸時代の大名。上総大多喜藩の第2代藩主。
|
||||
時代 | 江戸時代前期から中期 | |||
生誕 | 天和2年(1682年) | |||
死没 | 寛延2年1月29日(1749年3月17日) | |||
別名 | 主膳(通称) | |||
戒名 | 龍峯玄門雲興院 | |||
官位 | 従五位下、織部正、河内守、備中守、 備前守 |
|||
藩 | 上総大多喜藩主 | |||
氏族 | 松平氏(大河内氏) | |||
父母 | 父:松平正久、母:中嶋氏 | |||
兄弟 | 松平正貞、松平正佐、松平正武 | |||
妻 | 正室:戸田忠真の娘 | |||
子 | 2男1女(嫡男:松平久瑞) 養子:松平正温 |
天和2年(1682年)、初代藩主・正久の長男として生まれる。元禄9年(1696年)12月22日、従五位下・織部正に叙任する。宝永2年(1705年)閏4月9日、河内守にあらため、9月25日には備中守を称した。享保5年(1720年)6月27日、5月に死去した父の跡を継ぐ。このとき、弟の正佐に新田2000石を分与して、別家を立てさせている。享保15年(1730年)3月15日、奏者番となる。延享3年(1743年)11月20日、備前守に改める。寛延2年(1749年)1月29日、前年冬に死去した嫡男・久瑞の後を追うように死去した。享年68。
|
|
|