松平直堅
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松平 直堅(まつだいら なおかた)は、江戸時代前期の武士、大名。越後糸魚川藩祖。福井藩越前松平家分家初代。
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生誕 | 1656年(明暦2年) | |||
死没 | 1697年2月8日(元禄10年1月17日) | |||
藩 | 越後糸魚川藩祖 | |||
改名 | 権蔵、松平直堅 | |||
官位 | 従五位下、備中守 | |||
父母 | 父:越前松平光通(結城秀康の孫) 母:お三(光通の側室) |
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子 | 越前松平直知(長男)、亀姫(越前松平直之正室)、 山口弘豊室、赤松範主室、吉田某妻 |
[編集] 略歴
幼名は権蔵。越前松平光通(越前福井藩主)の長男で唯一の息子であったが、光通正室の国姫の子でなかったため、家督継承者から除外されて家老の永見氏に預けられて養育された。しかしそれに不満を持った直堅は、延宝元年(1673年)に江戸に出奔する。その後、越前福井藩では光通と国姫の自殺などで混乱が続いた。
直堅は延宝3年(1675年)5月21日に将軍・徳川家綱と謁見して従五位下、備中守に任じられた。1万俵の知行も与えられて大名に列したが、藩主にはなれなかった。元禄10年(1697年)正月17日に死去。享年42。知行は長男・直知が継いだ。
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