松平輝承
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松平 輝承(まつだいら てるよし、文化14年3月16日(1817年5月1日) - 天保10年6月26日(1839年8月5日))は、江戸時代後期の上野国高崎藩主、奏者番。
松平輝延の子。母は古川氏。従五位下、右京亮を称する。正室は酒井忠器の養女(黒田直侯の娘)。兄たちがいずれも早世したため、継嗣となる。
文化14年(1817年)3月16日、大坂に生まれる。父・輝延は大坂城代として在任中であった。文政8年(1825年)4月4日、家督を継ぐ。天保9年(1838年)9月1日、奏者番に任ぜられる。天保10年(1839年)6月26日、数え23歳にして没する(表向きには7月20日卒とする)。嗣子が無かったため、家督は養子の松平輝徳が継いだ。
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