松永長頼
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松永長頼(まつながながより、永正13年(1516年) - 永禄8年8月2日(1565年8月27日))は松永久秀の弟。改名後は内藤宗勝。息子は内藤忠俊(如安)
兄とともに三好氏の家臣となり、兄を影から補佐したという。兄・久秀が恐るべき謀略を駆使する男なら、この長頼は武勇に優れた人物で、人柄も兄と違って誠実で、主君の三好長慶から信頼された。三好家内での出世も兄より早く、兄・久秀はむしろ弟の七光りで三好家内の地位を高めていったとも言える。
天文22年(1553年)に丹波八木城主となり、その後丹波国の広い範囲を治めた。丹波国守護代、内藤国貞の娘を娶り、後に内藤氏の名跡を継いで、内藤備前守と改名。その後、丹波は長頼の半独立した領国のようなものであったとまで言われるほど、強大な勢力を誇っていたらしい。出家して宗勝(そうしょう)、また蓬雲軒とも号した。