林鶴一
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林 鶴一(はやし つるいち、1873年 - 1935年)は日本の数学者。元東北帝国大学理科大学教授。
徳島県生まれ。旧制徳島中学校(現徳島県立城南高等学校)、第三高等学校を経て、京都帝国大学卒業。
京都帝国大学卒業後助教授を務めたが、その職を辞し、中学校の教師や東京高等師範学校の講師に就いていた。その後、1911年新設東北帝国大学理科大学教授として迎えられる。同年8月,私費を投じて日本最初の数学専門誌「東北数学雑誌」を創刊し、東北帝大の教員の研究成果だけではなく、広く世界(日英独仏伊の5ヶ国)に論文の募集を行い、その後の日本の数学の発展に大きく貢献した。 数学に関する幅広い知識を持っており、晩年には和算の研究家としても活躍した。 さらに日本中等教育数学会(現日本数学教育学会)を設立し、中学校教師の資質の向上に力を尽くした。教科書・啓蒙書の著作も多数存在する。