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根井行親(ねのい ゆきちか 生年未詳 - 元暦元年1月20日(1184年3月4日)?)は、平安時代末期の武将。滋野氏の流れを汲む信濃の豪族。木曽義仲の最有力家臣にして、義仲四天王の一人。
保元の乱では源義朝に従い、活躍したという。
義仲に従い各地に転戦、養和元年(1181年)9月水津の合戦で平通盛、平経正らを破る。1184年、宇治川の合戦に参戦し、一族の武将たちに前後して敗死したとされている。この戦いでは先陣を焦った頼朝方の武将畠山重忠の馬(磨墨)を射たという。
長野県佐久市には行親の供養塔が現存する。