桐生競艇場
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桐生競艇場(きりゅうきょうていじょう)は群馬県みどり市笠懸町阿左美2887番地にある競艇場。
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[編集] 概要
1956年(昭和31年)11月8日に初開催された。
施設の管理は関東開発株式会社、競艇の主催はみどり市。 2003年度までは桐生市も主催していたが、赤字脱却のため借り上げ賃貸料の引き下げを巡り関東開発と対立し撤退。桐生市はメイン施行者であったため、一時は2003年度限りでの閉鎖も検討されていたが、サブ施行者だった阿左美水園競艇組合が桐生市主催分の全日程を引き継ぎ、存続が決まった。
1997年9月20日から「アクアンナイト」と称したナイター競走を実施。競艇界では初めてナイター競走を開催した場である。以後4月~10月上旬の期間においてナイター競走を開催している。
周年記念(GI)として、赤城雷神杯が行われている。
企業杯(GIII)として、サッポロビールカップが行なわれている。
正月には群馬ダービー、ゴールデンウィークには上毛新聞社杯、お盆にはお盆レースが行なわれている。
2004年7月からには水面に浮かす形で大型映像装置が、2005年4月から新スタンド「南ウイング」が完成し、新スタンド内には、競艇界では初めての在席投票席(PISルーム)や畳敷きのグループ席が設けられている(既存のスタンドは「新館」から「北ウイング」に名称を変更し1階のみ一般に開放している)。南ウイング完成と同時に来場者のことを「ファン」から「ゲスト」に、従業員を「キャスト」と呼んでいる。また、全国の競艇場では唯一、展示の際直線タイムのほか、回り足タイムを測定し公表している。南ウイング完成後実況が場内用と中継用で別になっているのも大きな特長。
競艇全体の売上減もあり、なお閉鎖論もくすぶっているが、2005年7月にはナイター競走SGとしてオーシャンカップ競走が、2006年には30年ぶりとなるモーターボート記念競走(MB記念)が、それぞれ開催された。更に、2007年度の桐生競艇場では2回目になるオーシャンカップの開催も決定し、新スタンドが完成してから3年連続でSGが開催されることとなった。これらのSG開催により「2003年の閉鎖騒動で失った信用をどれだけ回復できるのか?」に注目が集まる。
日本最北の競艇場のため電話投票の場番号は"01#"となっている。
桐生競艇場のキャラクターは「ドラキリュウ」(それにちなんでドラキリュウカップが行なわれている)。しかしこれはナイター競走開催時のみのキャラクターであり、デイレース開催時には「桐生忠太」がメインを張る。
[編集] 場内移動型投票システム「ムーヴ@ウィン」
2006年7月6日より、日本の全公営競技場(中央競馬・地方競馬・競輪・競艇・オートレース計107場)を通じて初めて、携帯電話を使った場内移動型投票システムの試験運用が開始された。同システム開始に際し愛称も公募され、同月10日に全国モーターボート競走会連合会より、愛称が「ムーヴ@ウィン」と発表された。これは、予め会員登録を行う必要が無く、当日桐生競艇場を訪れたファンが場内にて登録を行うことにより、手元の携帯電話を使って当日の桐生競艇場の全競走について、本場締め切りと同時刻まで投票できるもので、退場に際してはP-ATM(専用現金自動預払機)を用いて残高を出金するシステムである。なお同システムは同年9月9日より本格的な運用が開始され、同日以降は場内の一般席でも利用が可能となった。
[編集] 水面の特徴
水質は淡水。水面は夏は穏やかであるが冬は赤城おろしが吹き水面が荒れる事もある。
[編集] アクセス
開催日はJR岩宿駅または東武新桐生駅より往路のみ無料のタクシーが運行されている。
[編集] 過去のSG開催経験
※一番右は優勝者
- 第17回モーターボート記念競走(1971年) 瀬戸康孝
- 第22回モーターボート記念競走(1976年) 渡辺義則
- 第29回全日本選手権競走(1982年) 安部邦男
- 第5回グランドチャンピオン決定戦競走(1995年) 野中和夫
- 第25回笹川賞競走(1998年) 山崎智也
- 第10回オーシャンカップ競走(2005年) 江口晃生
- 第52回モーターボート記念競走(2006年) 中村有裕
[編集] 今後のSG開催予定
- 第12回オーシャンカップ競走(2007年7月24日~7月29日)(ナイターレース)
[編集] 外部リンク
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