梶原徹也
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梶原 徹也(かじわら てつや、1963年9月26日 - )は、福岡県福岡市出身のドラマーである。既婚。大分県立大分上野丘高等学校・明治大学卒業。
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[編集] 概要
大学時代は学生寮に住みサークル(軽音楽研究会)などで常に3つ4つバンドを掛け持ちしていた。ライブハウスでもぎりのアルバイトをしていた時にTHE BLUE HEARTSに出会う。初代ドラマーのリュースケの脱退後、甲本ヒロトに電話をしてオーディションを受けて合格し、バンドに加入。THE BLUE HEARTS解散後、社会福祉法人「秦野精華園」の入園者や通園者によって結成された「サルサガムテープ」のプロデューサーやドラマーとして参加。The 3peaceや、大塚愛のバックバンド(『さくらんぼ』や『Happy Days』のPVにも出演)等を経て、現在THE BIG HIPというバンドで活動している。 他にも、元ECHOESの伊藤浩樹らとWarRock(ワーロック)というレーベルを立ち上げ、プロデュース活動なども行っている。
[編集] 来歴
- 1986年4月 THE BLUE HEARTS 初代ドラマー脱退。梶原正式加入。
- 1995年6月 THE BLUE HEARTS 解散。
- 1997年春、 The 3peace 結成。
- 2002年 The 3peace 活動停止。
- 2005年春、 THE BIG HIP 結成。
[編集] 人物像
- 性格が良く、「バンドの良心」ともいわれた。
- 通称「梶くん」
- ブルーハーツメンバーの中で一番身長が高い
- トレードマークは「モヒカン」と「黒のタンクトップ」
- 「僕の中のロックのモチベーションと、仏教徒としてのモチベーションが同じだったりして」と、ブルーハーツ時代から自身が仏教徒であることを公表していたが、一時期はその両立に悩んでいたことも。「ブルーハーツが始まる以前から、僕は仏教徒だったけど、“セックス、ドラッグ、ロックンロール”なんていうロックのイメージと、自分の音楽活動とどう結びつけたらいいのか?っていうのがずっとあった。そんな中でアダム(ビースティーボーイズ)みたいな人がいて、チベタン・フリーダム・コンサートみたいなライブがあって、何か次の世界に進んでいける面が出てきてるなぁと思ってすごく嬉しかった」とインタビューで語っている。
- 高校2年生の時、不登校になり家でロックばかり聞いていたが、パンク・ロックを聞いて「自分も何かをやらなきゃ」とドラムを始めたという。
- モヒカンにしたのは20歳の時から。
- 好きなドラマーとして、リンゴ・スター、チャーリー・ワッツ、ジム・ケルトナー、レボン・ヘルム、ラット・スキャビーズ、ジョン・ボーナムなどを挙げているが、クラッシュのドラマー、トッパー・ヒードンは凄すぎる、とも。
- ロックンロール座右の銘は「迷ったときはザ・フーを見ろ」
- 2005年3月18日、梶原のセッション・バンドのライブにボーカル&ブルースハープで参加した甲本ヒロトから「昔は8ビートしか叩けなかったのに、こんなに上手くなりました」と言われる。この日のライブでは急遽、梶原が甲本に1曲だけサルサガムテープとのジョイントを依頼し実現している。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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