横浜バンド
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横浜バンド(よこはまバンド)は、J.H.バラ、S.R.ブラウンら宣教師たちに導かれて1872年に結成された日本基督公会のメンバー。
[編集] 経緯
1859年秋アメリカ長老教会のJ.C.ヘボン夫妻と1859年11月に米国オランダ改革派教会のS.R.ブラウンが神奈川に、同じくオランダ改革派の1861年11月にJ.H.バラが横浜に着いた。キリスト教が禁止されていたために表だった伝道はできなかった。彼らは、日本語を取得して、塾を開いて日本人青年を教育した。ブラウン門下からは島田三郎、植村正久、押川方義、井深梶之助、本多庸一、熊野勇七、山本秀煌、奥野昌綱などキリスト教会で活躍した人材を輩出した。1864年にJ.H.バラに日本語を教えていた矢野元隆が洗礼を受けた。1871年年末から翌年第一週にかけて、横浜在住の外国人が福音同盟会の提唱する初週祈祷会を開いた。1872年最初のプロテスタント教会が横浜に設立された。同じ日に押川方義、篠崎桂之助ら9人がバラ宣教師から洗礼を受けた。この9名と以前に洗礼を受けていた2名の、会員11人でバラを仮牧師として始まった。この日本初のプロテスタントの教会を日本基督公会といい、この集まりは横浜バンドと呼ばれる。この公会は純粋な福音信仰に達、無教派主義をとった。この福音主義の精神は後に加わった植村正久によって受け継がれた。
[編集] 参考文献
- 小野静雄「日本プロテスタント教会史・上」聖恵授産所出版部,1986
- 徳善義和・今橋朗「よくわかるキリスト教の教派」キリスト新聞社,1996
- 中村敏「日本における福音派の歴史(もう一つの日本キリスト教史)」いのちのことば社,200
[編集] 関連項目
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