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ノート:樺太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この記事は一度削除されています。削除に関する議論はWikipedia:削除依頼/樺太をご覧ください。


「樺太は北海道の北にある島。ロシア名はサハリン。」とあるのですが、今でも日本での正式名称は「樺太」なんでしょうか?もし、「サハリン」なら、そちらに移動するのが良いと思います。 秀の介 01:39 2003年10月21日 (UTC)

何を以って「正式」名称とするのかは分かりませんが、日本名はあくまで「樺太」ですよ。「サハリン」はロシア名。「間宮海峡」=「タタール海峡」みたいなものだと個人的には捉えていますが。
もし「サハリン」という記事がすでにあるのであればリダイレクトにすべきでしょうが、現状それもないですしね。Mizumono 02:12 2003年10月21日 (UTC)

樺太という呼称は、戦前の日本時代の呼称であり、現在は「サハリン」でいいと思います。北方領土と違いサハリンは領有権を放棄しているのですから。中国東北部のことを「日本名は満州」と言ったり、ソウルのことを「日本名は京城」と言うのと同じだと思います。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/zaigai/news/yuzhno.html には外務省の公式ページでもサハリンと書かれています。

www.mofa.go.jp/mofaj/comment/q_a/topic_43.html には樺太と書かれていますね。 Kozawa 02:13 2003年10月21日 (UTC)

どうも、申し訳ありませんでした。もう少し調べてから書くようにします。 秀の介 02:20 2003年10月21日 (UTC)

外務省のサイトで「樺太」の呼称を使っている例を検索してみたんですが、
http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=site:www.mofa.go.jp+%b3%f2%c2%c0&hc=0&hs=0&h=p
樺太・千島交換条約など第二次大戦以前の話をするときと、帰属問題で南樺太という地域名が使われるときが大半で、現在の島の名称を言うときには「サハリン」(サハリン州の意味で使っている例と区別が難しいのですが)が使われることが多いようです。
たしかに日本名ではあるのでしょうが、こちらにメイン記事があるのは違和感を感じます。京城にソウルのメイン記事があるような感じで。Birdman 04:26 2003年11月26日 (UTC)

語源的には多分カラフトだろうと思います。アイヌ語くらいじゃないかと。推測ですが。サハリンの語源は判りませんが。Johncapistrano 18:54 2003年11月26日 (UTC)

京城という呼称は現在では殆ど使われていませんが、樺太は現在の日本でも広く使われている呼称です。従って京城と樺太を同列に置くことはできないと思います。マスコミや官庁などは、外国への配慮としてサハリンや中国東北部といった相手国の望む呼称を使用しますが、ウィキペディアは外国に配慮して記事を書くものではないので、現在広く通用している日本語の「樺太」を、「サハリン」という外国語に改める必要性はありません。ウィキペディア日本語版では、サハリン州を指す場合を除き、日本語の呼称である「樺太」を使うべきだと思います。  61.27.48.138 2006年2月7日 (火) 20:22 (UTC)


僕もそのように思います。現在の行政上等の用語ではなく、日本で一般的に通用している用語によって構成されるべきでしょう。例えば、「イギリス」において日本で一般的に通用しているイギリスについて書かれていますが、もし相手国の呼称や行政上の呼称に従うのであれば「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」として記述されなければならないことになる、と思います。したがって、樺太でいいとおもいます。(無論、下記のように特にサハリンに関し書かれるのであれば別です。)余談ながら、もしサハリンに従うのであれば、高峰や湖沼などの地理はすべてロシア名で記述されなければならないでしょう。べね 2006年6月1日 (木) 13:29 (UTC)



「サハリン」にはサハリン島の地理と現在の行政や都市など、「樺太」には戦前の歴史やアイヌとの関わりなど、と分けたいなぁ、と思っています(作業しかけたところで止めてます)。どなたかご意見あればお聞かせ下さい。Birdman 04:16 2004年2月23日 (UTC)

量的には統合が妥当かと思いますがこだわりません。戦前の歴史というなら稚内からの連絡船をお忘れなく。Aphaea

今の記事量なら分割の必要はないとは思います。が、樺太は外交史でも歴史的地誌でも今後の充実が期待できます。記事内容の増強と同時に分離して別記事にするということなら、分けるのに賛成します。Kinori 11:20 2004年2月25日 (UTC)

サハリンはこれのコピペですし、サハリン州に統合した方がいいと思います。そうでなければ地理中心で。Johncapistrano 11:33 2004年2月25日 (UTC)

大幅加筆の予定が当面ないなら、統合されるべきと思います。Kinori 12:13 2004年2月25日 (UTC)
大幅加筆を致しました。資料不足の面も否めませんし、表現の問題もあるかとおもいますので、皆様のお力・アドバイスを

お願いいたします Faso 2004年9月11日 (土) 06:31 (UTC)


「歴史」の節に「1593年、豊臣秀吉が松前慶広に北蝦夷(樺太)を含む蝦夷地全域の支配権を与えた」とありますが、これは樺太が“発見”されるよりも前のことですから、余り意味が無いように思います。取り敢えず「北蝦夷(樺太)を含む」を削っておきます。NiKe 2004年9月27日 (月) 04:23 (UTC)


地理と歴史ですので、樺太庁に出身著名人があるので、こちらには必要ないと思われます。 Faso 2004年10月11日 (月) 03:14 (UTC)


樺太庁時代の行政区分から考えれば町であり、ロシア統治下であれば現在の行政名がふさわしいと考えられ 真岡市などの表現は、歴史的背景及び、異なる国の行政区分を同一にみなした物でふさわしいとは考えられません。Faso 2004年10月14日 (木) 09:12 (UTC)

目次

[編集] 第二次世界大戦と南樺太

樺太の帰属についてはさまざまな立場・意見がある。

第二次世界大戦におけるソ連の南樺太への侵攻は明白な侵略であったと言える。 その理由。 住民に対する扱いがあまりにも醜い。軍人だけでなく警察官・役人までもがシベリアに抑留された。彼らは強制労働に従事し飢えと寒さのため相当数が日本に帰還することなくなくなった。また、これらは意図的になされたものであり、まさしく大量虐殺というに相応しい。それから多くの婦女子が暴行されたという記録もある。 このような戦争犯罪は国際法により時効は成立しない。 したがって日本はサンフランシスコ講和条約で領有を放棄したにもかかわらず、ソ連(ロシア)に対し、損害賠償を求める権利がある。 また南樺太に関する条約を無効であると主張できる権利を有する可能性がある。 http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/karafuto.htm

以上の様な意見もあるが、日本政府は1956年のいわゆる日ソ共同宣言でソヴィエト連邦に対するすべての請求権を放棄すると謳っている。樺太の領有及び損害賠償を求める権利を主張するのは困難であると思われる。


上の点については、「国家は主体の異なる私人の請求権を放棄できるのか」という問題に絡むので、勝手に結論づけるのはどうかと思うのですが…両説併記が良いと思うのです。(私自身は放棄説が正しいとは思いますけれど)べね 2006年6月1日 (木) 13:05 (UTC)
当初の記述は、ソ連を一方的に非難する内容でした。現在の記述は両論併記の方向で修正したもので、勝手に決めつけるといった意図はありません。不適切な表現でしたら、適宜修正をお願い致します。

>また、日本はユジノサハリンスク市に総領事館を設置し、ロシアの実効支配を事実上追認している

という文章がありましたが、「実効的支配」は事実の問題であり、追認をする問題ではなく、は論理上噛み合わないと思われるので、削除しました。追認という行為に適合する対象としては、「実効的支配」ではなく「領有権」であろう、ということです。

この点で、「領土問題」の項目において

>それ以前に、そもそも日本政府はユジノサハリンスクに日本総領事館を設けており、政府自身が事実上樺太(サハリン)はロシア連邦に所属していると認めているといえる

という書き方がなされていましたが、論理的に適合するとすればこちらの書きかたであると思います。

ただし、領事館の設置は必ずしも領有権の追認にはつながらないという旨を、その理由を付記して項目を下げて追記しました。べね 2006年6月1日 (木) 13:15 (UTC)

[編集] 樺太の市町村記事について

樺太地域の市町村記事が続々とできていますが、ちょっと疑問点があります。歴史的地名として記事にするのはありだと思うのですが、過去と現在を混同した記事がままみられます。樺太地域はサンフランシスコ条約で日本が領有権を放棄しており、その時点で市町村も消滅したと考えるのが適切です(市町村の廃止に関する法令は調べていませんが)。現在多く作られているような、ロシアが占領している都市に関する事象を日本の都市名の記事で書くのは混同を招くことです。たとえば本斗町という記事をみると人口が書かれていますが、これは日本統治時ですか?ロシア占領時ですか?日本領時代のできごとは日本語地名の記事に、ロシア占領時のできごとはロシア語地名記事に書くのがいいと思いますがいかがでしょうか。--Mochi 2004年10月14日 (木) 14:01 (UTC)

>日本領時代のできごとは日本語地名の記事に、ロシア占領時のできごとはロシア語地名記事に書くのがいい に賛成いたします。 また、1952年4月28日を持ってサンフランシスコ条約発効により,領有権放棄の為消滅しております。Faso 2004年10月15日 (金) 12:29 (UTC)

上記の提案にそって、大泊町について、日本の統治下にあった時代と、ロシア(ソ連)の統治下にあった時代を区別して、「コルサコフ」の記事に分割してみました。 ただ、あまり記事の出来がよくないので、手を出さないほうがよいかもしれません、よろしければ加筆修正お願いいたします。Tcyiswalk 2004年10月15日 (金) 13:13 (UTC)

コルサフ見てみましたけど、外国の特筆することもない記事としてはよくできていると思います。なかなか小都市の記事って難しそうですね。もし分割が難しそうなら、記事内で項を分ける形にしてもいいかもしれません。泊居町でやってみましたが、書くことが少ないので難しいですね…。--Mochi 2004年10月16日 (土) 05:56 (UTC)

[編集] 樺太割譲は領土奪取?

島が先か行政区分が先か、という観点から、冒頭の定義を前後逆転しました。
それはそうと、冒頭の「北樺太」の項に、「 レーニンは、ポーツマス条約における樺太割譲は帝政ロシアによる武力を背景にした領土奪取であると認識していたようで、日本に返還を考えていた 」とありますが…… ポーツマス条約では、それまで全島ロシア領となっていた樺太の南半分が、日露戦争に(形の上では)辛勝した日本に割譲されたのであって、逆ではありません。何というか、根本的な勘違いのようですね。レーニンが不平等だと考えていたというのは、その前の「樺太千島交換条約」のことではありませんか。下記ウェブページ中、「「おろしゃ会」副会長を去るにあたって -そして、続・樺太(サハリン)考」を参照。

ある程度知識のある読者なら間違いに気づくでしょうが、記事の修正が望まれます。Inukawa 2004年11月14日 (日) 08:10 (UTC)

  • 直してくださった方、ありがとうございました。
    ただ、上記「おろしゃ会」サイトの記事にあるように、実際に残されているレーニンの言葉が1875年の「樺太千島交換条約」についてのものであるとするならば、現在の記事の「 レーニンは、ソビエトによる北樺太領有は帝政ロシア時代の武力を背景にした領土奪取であると認識していたようで 」という書き方では、依然正確さを欠くようです。まず、日本とロシアが、それぞれ混住地域であった千島と樺太を「交換条約」によって一方ずつ分け合い(この「交換」そのものが強者が弱者に強いたアンフェアな取引であった、とする立場も、当然あり得るでしょう)、その後、ロシア側の取り分の樺太から、日本が日露戦争→ポーツマス条約で南樺太をさらにつかみ取った結果として、ロシア側に北樺太が“残された”わけですから、「北樺太領有はロシアの領土奪取」という言い方は、細かく言えば、やはり当たらないのではないでしょうか。Wiki のウラジミール・レーニンのページには、「 レーニンは北樺太の日本への返還を考えていたという 」とありますが(出典を知りたいところ--もし直接日本人に向けられた言葉だったとすれば、ちょうど後のソ連/ロシアにおける南千島のように、単なる外交カードの一つとして使われただけと見るのが妥当かもしれません)、だとしても、「北樺太領有は武力奪取と考えていた」という言い方は、やはり少しおかしいように思います。Inukawa 2004年11月20日 (土) 11:09 (UTC)
  • 日露戦争の1903年7月31日ロシア軍の降伏により、日本軍は全島を軍政を敷き、ポーツマス条約締結時に実質日本の統治下にありましたが、帝政ロシアによるポーツマス条約締結時の取引として、参考資料樺太全島を返還するようまた賠償金を無くすように強く迫り、これに応じなければ戦闘の継続を行うと圧力をかけていました。

樺太千島交換条約に基づけば、統治権はロシアにあったと考えるのが法的には妥当で、ロシアが南樺太を割譲したと言うのが適法ではありますが、レーニンは軍政を敷き全島支配していたことを上位に考えていたということです。

またこの北樺太は帝政ロシアによる武力による領土奪取であると考えることは、当時の日本の世論(日比谷焼き討ち事件など)や8月28日の御前会議を知っていれば、外交カードとして利用したにせよ、おかしいことでは無いでしょう。レーニンが樺太返還について考えていた根拠は、国立国会図書館憲政資料室「明石元二郎文書書簡」によります。「根本的な勘違いのようですね」や「ある程度知識のある読者なら間違いに気づくでしょうが」という決め付けは少々乱暴ではありませんか。Faso 2004年12月2日 (木) 07:02 (UTC)

  • 冷静かつごていねいなご指摘、ありがとうございます。「北樺太は帝政ロシアによる武力による領土奪取である」というフレーズについてですね。
    日露戦争は、日露間の「朝鮮と満州の支配を巡る帝国主義戦争」と位置づけることができますが、1904年2月の日本軍による旅順攻撃によって開始され、日本の勝利という形で終結しました。この戦争以前、樺太は国際法上も実効支配としてもロシアのものでしたが、戦争終結後、ポーツマス条約によって、その南半分が正式に日本に割譲されました。戦争前後の国境の変化を見れば、どの国がどの国からどの領土を「武力奪取」したかは、私には明らかであるように思われます。
    ご指摘の諸点のうち、まず、ロシアがその武力を背景に樺太の全島返還を要求し、妥協点として北樺太の支配を確保したという点ですが、そもそも日露戦争そのものが領土を巡る(日本側から開戦した)武力戦争であり、戦後の(ロシアから日本へ領土を割譲するに当たっての)政治的駆け引きの部分だけを切り取って「武力による領土奪取」と称するのは、やはり適切ではないと思います。
    もしも「戦争中に日本が全島占領したのだから、日本のものになるべきだ」ということであれば、私としてはそういう見方には不賛成であると言うほかはありません(小笠原も沖縄も、今さらアメリカのものにはなってほしくはありませんから)。
    日比谷焼き討ち事件については、ご存知のように、戦争の経緯について正しい情報を与えられないまま(辛勝の事実すら知らないまま)重い負担を強いられ、無邪気に大勝利を信じていた国民が、当然のごとく講和条約の結果に不満を抱いて暴発した事件とするのが一般的ですから、そのような世論を「北樺太は帝政ロシアによる武力による領土奪取であると考える」ことの正当性の根拠とするのはどうかと思います。
    また、「北樺太は日本に返すべきだ」という言葉が、レーニンが恩義ある明石元二郎に伝えたものであるとすれば、(さらに、レーニンが、北樺太割譲に向けての現実的なアクションを取った形跡が特に見当たらないのであれば、)外交カードどころか、単なる外交上のリップサービスである可能性さえ否定できないのではありませんか。
    ただ、疑問点を糾すに当たって、当方の言葉選びには、いささか不適切な部分があったかとは思います。押してご寛恕いただければ幸いです。Inukawa 2004年12月2日 (木) 10:39 (UTC)

回答ありがとうございます。記事自体につきまして大まかな記述であったことが、誤解を招いたことお詫びします。記事内北樺太は帝政ロシアによる武力による領土奪取であると考えたようでという事の、歴史的背景からレーニンが多分にこれら理由から考えたのではないかということを述べさせていただいただけで、私がその考えが正当であるとは申していない事をご理解いただけますようお願いします。さて明石文書に記述があるだけではなく、1915~1916にレーニンが作成した「帝国主義に関するノート」でも「植民地侵略および戦争の一覧表1873~1879」で「ロシアがサハリンを占拠する(1875)」と記述があります。千島樺太条約も不平等条約であり、帝政ロシアの樺太島領有の根拠自体に疑問を抱いていたようです。日露戦争自体も、帝政ロシアの南下策により、戦争を選ばざるを得なかったと認識していた事が帝国主義に関するノート内にあります。また旧ソ連共産党・ソヴィエト国家機密文書集成によると1919年に明石を通じて返還を提案したようです。資料的に、北樺太を帝政ロシアによる武力による領土奪取であると考えていたようだについて、の根拠を示させていただきました。あくまでもレーニンの考えでありますので、Inukawaさんの仰るような現在考えられ正当だと思われることであっても、記事を修正する根拠にはならないかと思います。資料を覆すには資料を持ってして頂きたいと考えます。宜しくお願いいたします。Faso 2004年12月2日 (木) 12:51 (UTC)

  • なるほど。レーニンは「樺太千島交換条約は不平等条約である」と考えており、それゆえに彼は帝政ロシアの樺太島領有の根拠自体に疑問を抱いていた、とおっしゃるのですね。……すばらしい! まさにそれこそ、この対話の当初から私が示唆してきた方向性です:-)。無論ご失念なさったわけではないでしょうが、念のため、私のはじめのコメントから、右に一文だけ再掲しておきますね。「レーニンが不平等だと考えていたというのは、その前の「樺太千島交換条約」のことではありませんか。」(ちなみに、「何というか、根本的な勘違いのようですね」という、ご気分を害された例の箇所の直後に書いたのがこの一文です。ご覧になっていますね?)。つまり、この質問へのお答えは、Yes なのですね。
    さて、(Fasoさんご自身が証拠づけてくださったように)レーニンはそもそも、“交換条約の時点に遡って”ロシアの樺太支配は不当であったと考えていた、としましょう。であるならば、「 レーニンは、ポーツマス条約における樺太割譲は帝政ロシアによる武力を背景にした領土奪取であると認識していた 」という一文はやはり、--普通に読めば、この文はレーニンの意見が(日露戦争の講和条約である)ポーツマス条約に限定したものであったかのように取れますから、--(控えめに言っても)誤解を招くものです。
    ご紹介の「帝国主義に関するノート」内の記事について、私なりにコメントをお返しするためには(と言っても、特にコメントしたいと思っているわけではありませんが)、具体的な文面(および前後の文脈)を提示していただく必要がありそうです。そう、もしもおっしゃるとおり、資料重視の立場を貫かれるおつもりならばの話ですが。現在示されているのは、「これこれの資料にこんな感じのことが書いてある」という形の二次情報ですが、原文に忠実な訳文を引用していただかないかぎり、私に限らず読者の誰も、それが恣意的に切り取られたり解釈されたりしたものではないと確かめることはできません。繰り返しになりますが、そもそも、(日本の望んでいたよりも小さな規模であったにせよ)“ロシアから日本への”領土割譲の取り決めについて「ロシアによる武力を背景にした領土奪取」とするのは、誰の言葉であれ、明らかに不自然な表現です(この不自然さそのものについてはご理解いただけているでしょうか?)。要は、ロシア側の資料の中で、 確かにこのとおりの文言が 使われているのかどうかということです。
    先のコメントでは冗長さを嫌って言葉を十分に尽くさなかったことについて、私の方からも(今回のコメントが馬鹿長くなってしまったこととともに)重々お詫びしておかなければなりませんが、私も「現在の我々が」何を正当だと考えるべきかということについて書こうとしたわけではありません。もしもレーニンが、ことさらに日本側に与したかのような思考をたどったとするならば、当時の人たちがこれを眺めたとしても、それはやはり不自然な印象を与えたのではないかということです。日露の衝突は、ロシアが南下政策をとっていたのとちょうど同じように、日本の方も大陸への拡大政策をとっていたために起こった現象と見なすことができそうですが、かなりの情勢通であったに違いないレーニンが、両者のうちロシア側のみに非を見出したのだとすれば、(このような関係において、一方を他方による一方的な「被害者」であったかのように見立てることができるほど彼が愚かであったとする根拠があるなら話は別ですが)、それはさしあたり奇妙なことと言えるのではないでしょうか--「“奇妙”だと判断する根拠となる資料を出せ」と言われると困ってしまいますが。
    (蛇足ながら、この点について、私にとって一番納得しやすい説明は、そのようなレーニンの言葉は、どこの組織でも変革期には多かれ少なかれたいてい見られるような、新リーダーによる“旧制度否定のジェスチャー”の一部であったのではないか、ということです。もちろんそう考えなければならない確かな“資料的”根拠はありませんが、少なくともこの(どちらかと言えば常識的な)解釈には、第一に上記のようなレーニンの主張の奇妙なねじれ具合いの不可解さを、第二にレーニンほどの権力者の言葉がなぜ実現されずに済まされてしまったのかという(本項本文中ではふれられていない)素朴な疑問を、どちらも解決してくれる利点があります)
    ところで、Fasoさんのおっしゃる「レーニンが多分にこれら理由から考えたのではないかということ」というご推測は、拝読した限りでは「“日本の”世論(日比谷焼き討ち事件など)や8月28日の御前会議」→「(レーニンが)北樺太は帝政ロシアによる武力による領土奪取であると考えることはおかしなことではない」→「レーニンは軍政を敷き全島支配していたことを上位に考えていたということ」という流れのようですが、この2つの矢印が(とりわけ前の方が)どうしてこのようにつながることになるのか、何度読み返してみても、私にはついに理解できませんでした。自分の論理構築能力の限界と、資料尊重の原則なるものの不可思議さを、しみじみと痛感した次第です。Inukawa 2004年12月4日 (土) 14:27 (UTC)
  • 示す事はキャプチャーする事も出来ませんし、私個人に対する信用の問題でしょう。奇異であるというその論拠自体が資料を伴っておられないのですが、私も資料を納得いただける形で提出する事ができません。言うならば、信じられない・信じて欲しいの水掛け論以外の何者でもないと思います。どちらの主張もこれ以上進展する事はないでしょうから打ち切りましょう。ただそちらからは資料の提示が無いという状況だけは、とても残念です。レーニンの発言の推論については私の拙さもございますので、気になるようでしたら私のノートでも。

Faso 2004年12月4日 (土) 16:41 (UTC)

[編集] 民族のすんでいる地域

ウィルタの頁と書いてあることが矛盾してます。--kiku_b 2005年6月8日 (水) 09:40 (UTC)

  • 樺太という呼称は、戦前の日本時代の呼称であり、現在は「サハリン」でいいと思います。北方領土と違いサハリンは領有権を放棄しているのですから。中国東北部のことを「日本名は満州」と言ったり、ソウルのことを「日本名は京城」と言うのと同じだと思います。

英語名は「Karafuto」との書込みが本文にありましたが、ほとんど使われていない用法で、検索をかけてもほとんど引っかからない単語なので、一般的な元の「Sakhalin」に戻しました。

[編集] 領土問題について

共産党が(少なくとも党として)南樺太の返還を主張していると言う事実はありません。又、石原慎太郎氏が南樺太の返還を主張していると言う出典をご教示下さい。Sakhalin-man 2006年12月12日 (火) 07:44 (UTC)

出典が無い様ですので、石原慎太郎氏に関する記述を削除しました。Sakhalin-man
南樺太の返還うんぬん・・は、北千島と混同しているのだとおもいます。Bergmann 2007年1月12日 (金) 14:17 (UTC)

[編集] ポーツマス条約による割譲について

ポーツマス条約によるロシアから日本への南樺太割譲が条約上「返還」であるとの記述について、これを裏付ける公文書等の出典は存在しますか?存在しないのであれば、この記述は削除又は変更が望ましいと考えます。Sakhalin-man

出典が無い様ですので、内容を修正しました。Sakhalin-man 2007年1月3日 (水) 01:55 (UTC)

[編集] 旧ロシア帝国統治下の日本人島民、旧大日本帝国統治下のロシア人島民

チェホフがサハリン訪問中、日本人島民と交流していたことを書き足しました。 いずれ、旧ロシア帝国統治下での日本人島民と、旧大日本帝国統治下のロシア人島民について項目を挙げて書き足したい。


[編集] サハリン州の項目に、サハリン島については、樺太を見てくださいと書いてあります。

なぜ、樺太がロシア連邦の島に含まれないのでしょうか?--125.31.93.160 2007年1月21日 (日) 06:13 (UTC)

[編集] 1853年の「ロシア軍が久春古丹を襲撃」という記述は史実に反します

1853年のロシア軍による久春コタンの占領はペリー艦隊の襲撃に備えた臨時の駐屯でした。当時ロシアはプチャーチンの対日交渉を控えており、駐屯軍は日本人との友好関係を結ぶように皇帝から命じられており、実際にそのように行動しました。しかもロシア軍の駐屯は現地に駐留していた日本側の許諾を得ており、駐留した営舎の場所も日本側が提供したものでした。ロシア側は日本人の居住と領有を尊重し、駐屯していた間、日本人とは一度も紛争を起こしませんでした。ロシア軍駐屯中に久春コタンで起きた日本人への襲撃事件はアイヌ人によるもので、ロシア人が日本人支配を尊重してアイヌ人を解放する気がなかったことに失望してのことでした。ロシア軍が久春コタンを襲撃したという記述は明らかに間違いですので、修正した方が良いでしょう。

[編集] 北のひめゆり事件?

そう呼ばれている事件は存在していないので、真岡郵便電信局事件に改めました。--210.164.1.72 2007年4月10日 (火) 11:27 (UTC)

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