櫛山古墳
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櫛山古墳(くしやまこふん)は、奈良県天理市柳本町に所在する古墳時代前期後半の双方中円古墳である。
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[編集] 概要
櫛山古墳は、柳本古墳群の一つで、行燈山古墳の後円部に接して、より山側の高い位置にある。双方中円墳という特異な墳形をしている。この特異な墳形では、岡山県の楯築古墳や香川県高松市の石清尾山(いわせおやま)古墳群の猫塚がある。櫛山古墳や猫塚は、古墳前期でもその後半に属する古墳で、楯築古墳よりも100年ばかり後に築造された。櫛山古墳は、猫塚のように、二つの方形突出部がほぼ均等な大きさでなく、むしろ普通の前方後円部にもう一つの短い突出部を付けたというような変形している。
後方部には埋葬施設はなかったが、祭祀施設がある。埋葬が終わった後、様々な日常品や土製の勾玉や管玉を故意に破損させて石ころと共に、大きく掘られた穴の中に投げ入れるつという祭祀が行われた。
[編集] 規模・形状
双方中円墳
[編集] 埋葬施設
1948年3月、戦争中に日本軍がこの近くの平野部に飛行場を建設した時に、櫛山古墳の一部が掘り荒らされた。その後始末の調査が行われた。中円部の頂上で竪穴式石室が発掘された。内部には組合せ式の長持ち形石棺の一部が残されていた。後方部も発掘されたが埋葬施設はなかった。
[編集] 被葬者
[編集] 副葬品
後方部の祭祀状遺構で、石釧(いしくしろ)、車輪石、鍬形石と呼ばれる碧玉製腕飾類の破片、それら三種の碧玉製品を模造した土製品の破片、碧玉の管玉、鉄剣・刀子の破片と鉄斧、位牌形石製品とよばれ、人形の形骸化したい試製品と想像される遺物、高坏や壺などの土師器が出土した。碧玉製腕飾類は、もとの個体数にして石釧107、車輪石105、鍬形石23という膨大な量であるし、乱掘後残された数に過ぎないから、どれだけ多数が使われたかが分かる。
後方部の白礫が堆積した層から直弧文を着けた鍬形石形の土製品が出土している。
[編集] 関連項目
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