正親町町子
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正親町町子(おおぎまち まちこ、? - 享保9年(1724年))は、江戸時代前期の幕府側用人、譜代大名柳沢吉保の側室。父は正親町実豊。兄は正親町公通。
大奥の御年寄右衛門佐の紹介により吉保の側室となり、徳川綱吉の側用人から老中にまで上り詰め栄華を極めていく吉保の半生を描いた松蔭日記の著者としても知られている。吉保との間には四男・経隆(越後国黒川藩(1万石))と五男・時睦(越後国三日市藩(1万石))を出産。その後、尊号一件で中山愛親とともに処分された。
享保9年(1724年)に死去。墓所は東京都新宿区にある月桂寺に葬られる。
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