武田信栄
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武田 信栄(たけだ のぶひで、応永20年(1413年) - 永享12年7月23日(1440年8月20日))は若狭武田氏の初代当主。安芸武田氏の当主・武田信繁の子。法名は、長福寺殿天遊光芸。
武田信栄は時の将軍・足利義教に気に入られて、その相伴衆となった。義教は室町幕府の歴代将軍の中でも特に独裁的な専制政治を行なった人物として有名であるが、義教は有力な守護大名の取り潰しも積極的に行なっていた。その標的が、丹後と若狭に勢力を持つ一色義貫であった。
やがて義教は、信栄に一色義貫暗殺の密命を下した。これを受けた信栄は1440年5月15日に義貫をおびき出して暗殺した。この功績により信栄は義教より若狭を与えられたのである。これが、若狭武田氏の起源である。
1440年6月、信栄は若狭に下向したが、翌月の7月23日に病のために没した。菩提寺は、福井県大飯郡高浜町にある長福寺。
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