毛利元氏
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毛利 元氏(もうり もとうじ、弘治2年(1556年) - 寛永8年(1631年))は、安芸の戦国大名毛利元就の次男である吉川元春の次男で長州藩一門家老阿川毛利家の祖。幼名宮松丸、通称は少輔三郎。官位は宮内大輔。別名元棟。妻は仁保隆有の娘。子に毛利元景。
1567年迄に周防国の仁保氏の養子になっているが、その後仁保氏を三浦元忠に譲る。1587年には出雲国の繁沢氏の養子として繁沢姓を名乗り、中国各地を転戦する。石見国浜田周辺に陣屋を置いていたという説がある。
1570年には父・元春と共に、尼子勝久や大内輝弘と手を組み毛利氏の後方を撹乱していた三隅国定を討ち取っている。
1600年の関ヶ原の戦い以後、1613年に毛利姓に復姓することを許され、周防国高森から転封。現在の山口県下関市豊北町阿川・滝部地区周辺を治め、子孫は長州藩一門家老の阿川毛利家として存在した。