水戸学
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水戸学(みとがく)は、日本の常陸国水戸藩(現在の茨城県北部)で形成された学問である。
1657年(明暦3年)に第2代水戸藩主の徳川光圀が彰考館(史局)をおいて自ら『大日本史』の編纂を始めたことが起源とされている。光圀は朱舜水らとの交流を通じて、天皇による普遍的な統治が続けられた日本こそが中華思想の説く正統な国家であるという意識を持っていた。このため大日本史は、天皇の治世を紀伝体で記してある歴史書であり、全体的に大義名分論の尊皇思想で貫かれていたことから、水戸藩は、水戸学によって、天皇を尊ぶ尊王思想の気風を植え付けたともいわれる。
第9代水戸藩主の徳川斉昭は、藩校として弘道館を設け、水戸学を大幅に拡充したといわれる。このことから後期の水戸学は「文武両道」を旨とし、学問としては、儒学・国学などの思想以外にも医学や天文学などの自然科学を含む、総合的なものとなった。
水戸藩で生まれた水戸学は、江戸幕末の尊王攘夷運動に強い影響を与え、明治維新の原動力の1つにもなったが、その後の政府の保護は得られず、弘道館は解体され、蔵書のほとんども国有となった。現在、水戸学は、茨城県水戸市にある水戸史学会によって研究され、主に歴史・思想について扱われている。
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